アラフォー発達障害者ソラキ、ひきこもっていた10年間を振り返ってみる ―環境は良くも悪くも人を変える
現在39歳、アラフォーの私は、発達障害の発覚が遅かった。自覚が30歳、診断を受けたのが32歳。発達障害を自覚したのは、20歳ごろにひきこもりがちになってから実に10年後だった。
私のようなケースは、同年代の高機能群発達障害者の典型かもしれない。発達障害の概念が普及していないために診断が遅れる→ キャパ以上のストレスにさらされつづける→ 二次障害を発症、社会生活を送れなくなる という流れなのだ。
最近にわかに「ひきこもり」に注目が集まっている。最近出した本のあとがきにも書いているが、ちょうど本の執筆が佳境だった去年の6月ごろ、ひきこもりの人が加害者になる事件と被害者になる事件が立て続けに起きたのがきっかけではと思っている。このタイミングで一度、自分の過去について「ひきこもり」の観点から振り返っておきたい。
ひきこもりとは
法研『六訂版 家庭医学大全科』(2010)での、精神科医の斎藤環氏による説明は以下。
「ひきこもり」もしくは「社会的ひきこもり」は、病名や診断名ではありません。不登校や就労の失敗をきっかけに、何年もの間自宅に閉じこもり続ける青少年の状態像を指す言葉です。
厚生労働省の「地域精神保健活動のあり方に関する研究班(平成12年度設置)」による調査研究では、「社会的ひきこもり」とは「①6カ月以上自宅にひきこもって社会参加しない状態が持続しており、②分裂病などの精神病(※)ではないと考えられるもの。ただし、社会参加しない状態とは、学校や仕事に行かない、または就いていないことを表す」と定義されています。
※精神病:現実検討力を欠く、妄想系の精神疾患のこと。最近までの言葉で言う「神経症」のたぐいの大半は含まれないと思われる
朝日新聞「キーワード」に掲載された説明(2019年6月)は以下。以下の説明が、日本のひきこもりについての現時点で最も新しい内容だと考えてよいだろう。
国の定義では、仕事や学校などの社会参加を避けて家にいる状態が半年以上続くことを言う。ひきこもり状態の40~50代を70~80代の親が支える世帯の問題が深刻化する現象は「7040(ななまるよんまる)問題」「8050(はちまるごーまる)問題」とも呼ばれている。内閣府は3月、40~64歳のひきこもり状態の人は全国に61.3万人との推計を発表。2015年度調査では15~39歳は54.1万人と推計している。
ひきこもりをめぐる最新の動向
上に引用した2018年の内閣府の調査での「ひきこもり」定義の詳細は、以下のPDFで確認できる。私も今回この記事を書こうと思って詳しく調べ、初めて詳細を知った。
https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/life/h30/pdf/s2.pdf
私が上のPDFを読んで重要ポイントだと思ったのは、以下の人は除外される点。
1.身体的病気により外出しなくなった人
2.妊娠している人、(最近)出産した人
3.家で、よく家事・育児・介護・看護をしている人/専業主婦(夫)・家事手伝いな人
4.在宅で仕事している人
5.家族以外の人とよく/ときどき会話する人
私は上の調査結果が報道されたとき、詳細を調べずに「在宅ワーカーはどみんなひきこもりだっていうのか!」と息巻いていたが、在宅ワーカーはしっかり除かれていたわけだ。反省。
しかし、あとで詳しく書くけれど、3に該当する人を除いてしまうと、「本人自身にひきこもり傾向があるが、家庭内で家事・育児・介護・看護の役割を担わされている人」が除かれてしまうので、ここは難しいと思った。
それと、以下の、ひきこもり度区分のようなものもなるほどと思った。
A.趣味の用事のときだけ外出する
B.近所のコンビニなどには出かける
C.自室からは出るが、家からは出ない
D.自室からほとんど出ない
A= 準ひきこもり
B~D= 狭義のひきこもり
A~D=広義のひきこもり
この区分に照らすと、20歳ごろから10年間の私は、AからC、あるいは「ギリギリひきこもりに該当しない」状態を行ったりきたりしていた、と表現できる。
「ひきこもり傾向があるけど、家で家事・育児などしている人」を、統計でどう拾うか問題
斎藤環氏も言っているように、ひきこもりの様態は環境に依存する。ひきこもりの深刻化と長期化は、「ひきこもりシステム」の完成によって起こる。
上に挙げたDのような、「自室からほとんど出ない」ひきこもりは、おそらくだいたいは、実家などで家族と同居で、ほかの家族メンバーが家事と、生活費の調達を担っている場合に成立するのだろう。
私の場合、同じく(私よりも深刻な)ひきこもり状態におちいっていた母との実質二人暮らしで、私が買い物や料理、最低限の掃除洗濯などの家事を行わなければならなかったので、「自室からほとんど出ない」状態にはならなかった。
※彼女はのちに妄想性障害と診断されたので、上の斎藤環氏による説明内の「精神病」に分類され、ひきこもりの定義からは外れるかもしれない
というか、当時の私は、先の詳細な定義に忠実に従うなら、そもそもひきこもりに該当しなかった可能性がある。「家でよく家事・介護・看護をしていた」「家事手伝い」に当てはまるからだ。
けれど、私が「健康な家事手伝い・介護者」だったかというと、まったくそうではなかった。この解説にあるように、私は昼夜逆転した生活リズムに苦しみ、対人恐怖や希死念慮などに振り回されていた。夕方の閉庁までに間に合わないため、公的な手続きはみな滞り、日常生活はほぼ破綻していた。
仮に母の世話や家事がなかったとしても、私は仕事に就くことも、職業訓練や学校に通うこともできず、広義のひきこもり状態におちいっていただろう。私は単に、家庭内での役割のために必死に家事や介護をこなし、家の建前のために「家事手伝い」と自称させられていただけの、実質はひきこもりそのものだった。
今後は、こういう私のようなタイプの人(良い悪いは別として、現状、多くが女性)を統計で拾っていってほしい、と切に願う。私は社会調査や統計についてぜんぜん知らないので、具体的な方法はなんとも言えないけれど……
なにしろ当時、しだいに私も母も追いつめられて、互いに殺し合いかねないほどの精神状態におちいっていたからだ。ときどきニュースで、中年のひきこもりの人が老親を殺した話や、老親が中年のひきこもりとなった実子を殺した話を見るたびに、本当に他人ごとと思えなかった。
2011年の東日本大震災のあと、もともと悪かった母の状態がさらに悪化して、私をトイレやお風呂の中まで追い回しては小一時間妄言をぶつけてくるようになったのだ。このころには私は、私は衝動的に母の首に手をかけてしまいそうになる自分を必死で抑え込んでいた。母が絡んでくるときの特有の声色を耳にするだけで、過呼吸みたいな発作を起こしてしまう。詳細は以下の記事にうんざりするほど書いてある。
写真で見る、私のひきこもり当時の苦しみ
ひきこもり当時は本当に苦しかった。私はあの20歳ごろからの10年を「地獄の10年間」と呼んでいるのだけど、よくも、自殺せず、誰も殺さずに生き延びたと思う。
精神状態も最悪だったけれど、体調も最悪。片頭痛とPMDD(PMSのひどいもの)、月経困難症、原因不明のアレルギーがどんどん悪くなっていって、月のうちの8割ぐらいを寝込んで過ごしていた。高校のころから続いていた、何をしても治らない顔じゅうのニキビにも悩まされていた。ストレス性の胃炎を繰り返し、頑張って食べても太れない。ひどい冷えのぼせやめまいも頻繁に起こした。
けれどというかだからというか、そもそも病院に行くだけの体力気力がなく、生活リズムが破綻していたので、病院にもなかなか行けない。病気について調べたり、どこかに問い合わせするような余裕もない。
私がひきこもっていた10年のあいだに、世の中では医療技術も発展し、偏頭痛薬や超低容量ピルといった便利な薬も出てきていた。発達障害のための医療技術や認知も進んでいた。なのに、私はそういったものから取り残されたままだった。自分の不調は現代の西洋医学では治せないものと思い込んだ私は、ありとあらゆる民間医療に傾倒し、家にいながらずいぶんと散財した(ネット通販がこのような行動を可能にした)。不調はよくならなかったうえ、手を出した民間医療の一部の思想の影響を受けて「自分の心がけが悪いのだ」と自分を責めるようになって、もともと低かった自己肯定感は奈落の底まで落ちた。
自分の髪が薄くなっているのに気づいたのは27、8のころだったろうか。あるとき、髪をポニーテールにしてみたら、なんだか前髪がすだれのようだし、前髪とうしろの髪の分け目のところが、地肌が見えている。ポニーテールのしっぽが細くて心もとない。もともと髪は多いほうで、膨らむのをどう抑えるかに苦慮していたタイプだったので、「これは髪が薄いということか」と理解するまでにだいぶ時間がかかった。
下の写真は2010年の10月、9年前のちょうど今ぐらいの時期の写真だ。なんの気なしに昔の写真をザッピングしていてこの写真を見つけたときは、あまりに病人然とした自分の姿に愕然とした。
頬はこけ、顔色は悪く、目に力がなく、髪が細くて少ないのがわかるだろう。あと、ため込みの傾向のある母がモノを捨てさせてくれず、私は多すぎるモノをもてあましていたためもあって、背景が散らかっている。
今はこんなにぴちぴちで、髪も多すぎるぐらいふさふさ。うまく笑えるようになった。当時から5キロ以上太って、ちょっと絞るために悪戦苦闘しているぐらい。ちゃんと化粧してプロに撮ってもらっているとはいえ、幸せそのものな奥様という感じで、別人のようだ。ニキビもニキビあともすっかり消えて、肌もツルツル。
私がいまの夫に助け出され、実家を出て夫と暮らすようになってから、今のように元気になるまでも本当にいろいろあった。二次障害がほぼ回復した今でも、もともとの発達障害由来の疲れやすさや苦手があって、行けないところやできないことがたくさんある。この不便とは一生つきあっていかなければならない。けれど、今の私は私なりに最大限、いまの環境に適応して、いわゆる社会参加もできている。そして心底幸せだ。
私のような人がひきこもりにならない、苦しまないために必要なこと
写真に照らしながら私自身の歴史を振り返ってみて言えるのは、「ひとりの人間を良くも悪くもこれほどまでに変えたのは、環境だった」ということだ。
最新の調査などからわかってきているのは、ひきこもりはどうやら、その人の自己責任ではなく、特にいまの40代前後の人(なんと39歳以下の当事者よりも40歳以上の当事者のほうが多かった)の場合、就職氷河期の被害者の側面があるらしい、ということだ。
女性はとりわけ、ジェンダー的にこうした割を食いやすい。しかも、私が上でも指摘したように、実質的にはひきこもりの人も、女性の場合は専業主婦や家事手伝いとして、統計上「見えない存在」にされてしまいやすい。この問題は、今年になってNHKでもとりあげられた。
働きたいのに働ける場所がない、あるいは、必死に獲得した職場で冷遇される。それでもなんとかしがみつこうとしても、今度は年齢の壁で再就職はかなわない…... そうした経験が幾度も続けば、もともとどんなに元気だった人だって心折れるだろう。もともと疲れやすさや、職場への適応に難しさを抱えている障害者ならなおさらだ。
私は、まずは今の夫の助けによって、あまりにストレスフルだった実家の環境を脱出した。心身ともに安全な環境の中で心身をしっかり休めて「少なくとも新たに傷つけられない日常」を取り戻した。それからゆっくりと医療や支援とつながり、回復していった。平行するように、自分の特性と状況に合った仕事や働き方を焦らずに吟味し、一歩ずつキャリアを形成してきた。
私の回復の最初のきっかけは、「全面的に助けてくれる人(いまの夫)との出会い」という単なる幸運だったが、本来ならすべての人に、この幸運が当たり前のように降り注ぐべきだ、それが福祉のやることなのではないか、と思う。
当事者は、消去法で、やむをえず、ひきこもることを選んでいる
斎藤環氏は、ひきこもりの人のことを「(たまたま)困難な状況にあるまともな人」と形容した。本当にそのとおりだと思う。もし私がひきこもりの人を自分なりの言葉で呼ぶなら、「在宅孤立者」としたい。
家にいるし、いちおう家族もいるけれど、精神的な意味では社会とも家族とも切り離され、孤立している人。家庭の中にも社会にも安心していられる居場所やつながりがなく、結果的にどこに行くこともできなくて、やむをえず、家や自室にこもって、周囲から嘲笑され、責められながら日々をしのぐことを選択する人。それがひきこもり、在宅孤立者。
彼らが家や自室にこもるのは、あくまで消去法の選択であって、決して楽がしたいから・楽しいからではない。それ以外に生きる方法、日々を過ごす方法が見つからないからそうしているのであって、本人たちは1秒ごとに地獄の苦しみを味わっている。この地獄はさらに悲しいことに、基本的には「なんの役にも立たない」、「無駄な時間」なのだ。
私の場合は、ひきこもっていた時期に否応なしに身につけたネット検索技術がいまの仕事につながっているし、いろいろな人が、「ひきこもりの経験は無駄じゃなかった」なんて言っている。けれど、そういうのは単に幸運な「たまたま」だ。「無駄じゃなかった」と大きな声で言い立てるのであれば、それは成功者バイアスにすぎない。ひきこもっている時間が、基本的には誰も救わない単なる地獄だというのは、おそらく当事者の多くが体感で知っている。
こうした、「消去法で地獄を選ぶ」選択は、哲学者の國分功一郎氏の言うところの「中動態」の選択だと言えるだろう。ひきこもりの当事者は、強盗に銃を喉元に突きつけられてやむをえず財布を差し出す人のように、「やむをえずひきこもりを選ばされている」のだ。
私は、いつかの私と同じような日々を過ごす人に、「実は、地獄に耐えつづけないでも、どこか別の場所で、別の方法で生きることができるのだ」と知ってほしくて、この↓本を書いた。この本の核心はどちらかというと、頼れる支援機関のリストや、行き詰まったときにとりあえずどんな行動をとればいいかのフローチャートがまとまった巻末資料にある。
どんな人のことも、孤立させないでほしい
私が急いで当事者に伝えたいことはとりあえず上の本にまとめたので、あとは、福祉や社会的企業の人たちに、「仕事に人を合わせるのではなく、人に仕事を合わせる」ような仕事のマッチングや、新しい仕事の生み出しを本気で、超本気でやってもらいたいと願っている。単に「障害者向けに簡単な仕事を切り出し、苦手なこともやりやすいように支援する」「そのぶん低いお金で働いてもらう」のではなくて、「『この人だからこそ他の人よりも高い価値を生み出せる』『だから十分なお金を払える』ような仕事を用意する」ことを。
どんな人のことも、孤立させないでほしい。誰のことも、社会に、経済活動に招き入れてほしい。社会にそうしたことができないなら、せめて否定しないでほしい、笑わないでほしい、責めないでほしい、怖がらないでほしい、いつかそのうち、その人に、再び立ち上がるエネルギーが充填される日まで。これが、元・ひきこもり=在宅孤立者 からの切なる願いだ。
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