小さきものと眠る
昼寝をしていたらうちの猫がやってきて、私の脇の下にすっぽりとはまりこむようにして眠りはじめた。この子はベッドに乗ってくるときも足元に丸くなっていたり脚の間にはまりこんできたりするぐらいで、今まで自分からこちらの顔の近くまで来て眠ったことはなかった。珍しい。
疲れていながら少しクサクサしてベッドの上で何度も寝返りを打つばかりだったのが、脇の下にふわふわと柔らかくて温かく、少し湿り気のある猫の身体を感じていたら、すっかり「世はこともなし」といった気分になった。頬をリズミカルに猫の寝息が撫でる。
私はもう寂しくない、と思った。
猫とリラックスした時間を過ごすごとに、こんなに幸せな時間をもらっていいのか、と思う。特に一緒に眠る時間は格別だ。
以前も別の小さな生き物と似たような時間を共有していたことを思い出した。実家で飼っていたオカメインコのピーコ。10歳のときに大好きな祖父が買ってくれた子だ。その2年後に祖父は死んでしまい、もともと孤独だった私は、掛け値なしに信頼できる相手をすっかりなくして天涯孤独のようになっていた。
私はよく、ピーコの毛づくろいを一部始終じーっと眺めて、彼(女の子の名前だが男の子)の羽毛やそのプログラミングされた行為の規則正しい美しさに陶然となっていた。30分ほどかけてそのシュッとかっこよく尖ったしっぽの先まで手入れを終えると、今度はふくらんで片足立ちになり、ぎょりぎょりとクチバシをこすり合わせながら居眠りしはじめる。
そうなると私はよく、そこでそのまま彼のいるカゴの前に転がって昼寝をした。彼のカゴは、畳もすっかり陽に灼けきった古い和室に置かれていた。私はその和室と地続きになった広い濡れ縁から入ってくるそよ風を浴びながら、ピーコの出す眠たげな「ぎょりぎょり」というクチバシの音をバックに深く眠った。
友達もおらず、兄ともわかりあえず、両親の前でも安心できなかった私にとって、ピーコは唯一の心を許せる友達であり、きょうだいだった。
なのに私は20年後、彼を置いて駆け落ちした。私がいなくなってからはしぶしぶ母が最低限の世話をしていたが、彼は私がいなくなって1年ほどあとにポトリと止まり木の下に落ちて死んでいたそうだ。神経質で身体の弱い個体も多いオカメインコとしては長生きのほうだったが、私はずっと、彼を置いていってしまったことが彼の死期を早めたのではないか、彼が1年間ずっと寂しくてたまらなくてそれで死んでしまったのではないかと、10年近くたった今でも夢に見るほど悔いている。
私がせめて彼のためにできることは、今ともに暮らしているこの子を一生、最大限に幸せに暮らさせ、そして私たち夫婦で看取ってやることだと思っている。
いつか彼女(メス猫なので)を看取る日がくることを考えると本当につらい。小さきものの命を失うことは本当につらい。私はピーコのほかに何羽かの小鳥を看取ってきたが、今まで生きて動き、くりくりした目を動かしていつもこちらのアクションに反応を返してくれていた柔らかくて熱い身体が動かなくなり、硬く冷たくなっていってしまうことは耐えられない。ただでさえ小さくて軽い身体が、軽石のように軽くなってしまったような感じがする。
それでも私はその日まで、この小さきものとともに眠りたい。私はもう寂しくない。
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