科学のための疑似科学
ジャーナリングのノリで書いてみます。なので,矛盾するかもしれません。
私はあらゆる思想や理論に支配されてきました。
「シンメトリー」「複雑性」にこだわったり,「東洋思想」や「論理」に支配されたり,「超能力」や「水槽の脳」などに価値観が左右されたりしてきたわけです。
最近はMBTIに支配されています!
東洋思想,超心理学,ユング派心理学などは疑似科学とされているらしいです。
疑似科学というと,間違ったものと捉えられることが多いらしいですが,私はこの捉え方は完全に間違っていると思います。
間違ったものというより必ずしも正しくないものと捉えるべきだと思うのです。
私が今疑似科学について書いているということは,最近ハマっているMBTIについての捉え方に迷ったからです。
では,疑似科学はそんなに悪いのですか? 科学の発展には必要不可欠だと私は思います。
例えば,物理学は疑似科学ではなく科学ですが,なぜ科学と呼べるものなのでしょうか。当然ながら,数学を使ったり統計的に分析したりして体系化してきました。そのとき仮説を形成するなどの推論が必要です。
仮説は実証するまでは正しいものとは言えません。同様に間違ったものとも言えません。これが科学的な考え方につながります。
実証してないことについて「真である」と言うのは疑似科学的かもしれませんが,「偽である」と言うのも疑似科学的だということです。
物理学の例で超弦理論を挙げてみます。超弦理論は仮説です。"理論"とありますが,"理論"自体の真偽は不明です。この理論は使うことが目的です。使ってみると,その理論の上で絶対に認めるべき正しいことが導けます。"理論"を疑ってもあまり意味はないのですね。
(ただ,超弦理論を本気で信じるのも不快と感じるかもしれません)
だとすると,真偽を問うことは,発展性を妨げる可能性さえあります。超弦理論は疑似科学のようなもので,超心理学とかを超弦理論と同類でないとするのはカテゴリー錯誤ではないでしょうか。
発展性と書いてしまいましたが,私は疑似科学には発展性があると思います。
前述のMBTIは,疑似科学のようなものですが,そこでMBTIを過小評価しますか? MBTIは確実に有効活用できます。このとき私はMBTIが完全に正しいと思っているわけではありません。あくまでも仮説として捉えているわけです。
かなり話がそれましたが,仮説は必ずしも実証する必要がないと私は言いたいだけです。仮説も有効活用していけば発展的ですから,多角的に分析するためには必要だということです。
今回の内容はあまり触れたくありませんでした。MBTIにハマりすぎる私は異常なので,この記事はジャーナリングのつもりです。アウトプットが必要でした。これもまた次回。