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コンセプトと規律の配合

この記事は3編構成(予定だったもの)の最終話です。
(本記事は独立した読み物として楽しんでいただけます。)


①進化型組織を作る【導入前編】

②進化型組織を作る【導入実施編】

③進化型組織を作る【導入後編】

本記事

本来の趣旨とは変わった着地となりましたが、こうなった背景については前記事で触れていますのでご興味がありましたらご覧ください。



ルールについて考える

色々と話を始める前に、そもそも私がなぜ規律型の組織ではなく自律型の組織を目指していたのかについて触れたいと思います。

そもそも会社という組織で、ひとりひとり考え方の違う人間を集めて営利な行いをするとなると、やはり厳密なルールを作成した方が良いような気がしますよね。何が正しくて、何が正しくないのかを決めること。
私も初めは、正しいルールを作るために、様々な評価制度について学びました。しかしそこで拭いきれない違和感を抱きました。

この世の中に完璧な物ってなくて、どこか歪ながらもなんとか形を保って存在していますよね。それは評価制度も同じことが言えると思いました。絶対的に正しい規律というのは無くて、正義の反対もまた正義であるように、どのような側面を切り取るかによって物事の見え方は変わってきますし、自分の在り方や行動というのは、時代や場面によって変化するべきものだと思います。
そんな中で、「これが正解」という事を決めてしまう怖さがありました。

そうなると、「最初から規律なんて必要ないのか」「規律が無くても上手くやるというのは無理なのか」という事を考えていました。そこで私の考えとマッチしたのが自律型の組織でした。

しかしこの組織論を運用した結果は、残念ながら上手く機能しませんでした。その原因と対策についてのまとめが今回の記事になります。
規律型の組織と自律型の組織、どちらか一方を否定する内容ではなく、上手く融合した落としどころを見つけました。



正しい物を作ること

規律もそうですし、何事においても、スタートしてからある程度の段階までは「良い感じ」にまとまりがつくと思います。
旅行計画だったり、キャンプの予定だったり、事業計画だったり、なんでもいいです。物事の始まりってワクワクしますし、初めの計画を立てる時が一番盛り上がりますよね。アレもしよう。コレもやろう。アレとアレも足して混ぜ合わせて、ここはオリジナルの要素を入れて・・・と。
そして自分なりの計画が出来上がり、絶対に良い物になるという確信が生まれます。しかしいざそれを実現するために詳細を決めて行こうと思うと、ワクワクよりも「正確性」だとか「準備の大変さ」だとか「現実性」だとか「能力や予算の限界」だとか「意思決定」とかの割合が大きくなって、なんだか嫌になってきます。これが楽しい計画ならやり切る確率はグンと上がりますが、事業計画ともなると途中で嫌になって辞めたり取り組みの優先順位を下げる場合が多いようです。

これって、「完璧なもの」を作ろうとする場面に共通することで、物事を一切不合理のない状態にするには、かなり細かな調整が必要になってきます。
その矛盾を埋めるために新しい規律を足せば足すほど、不合理の穴を埋めているように見えて実はさらなる不合理を生み出しているという矛盾が起きます。

例えば旅行においては、1分単位で目的地の予定を決めて、次に乗る電車まで決めてしまえば、希望したエリアを単日で複数楽しむことはできるかもしれませんが、電車の遅延や天候の悪化、体調変化や想定外の混雑などのイレギュラーが発生した時に、その後の予定が全て崩れますよね。
ある程度の余白をもって、想定もしていなかった出会いに身を任せてを楽しむのも良いのではないでしょうか?
この「余白の設計」と「自由な行動を許す事」が事業で言う所のイノベーションに繋がると思います。

つまり、徹底したルールを作れば作るほど、より多くの矛盾や崩壊の危険性を含んだ状態になると考えられます。



規律とコンセプトの配合

「じゃあ規律は必要ないのですね。」と言うとそうではなくて、最低限の規律は必要になります。これが今回の取り組みから得た学びであり、今回の失敗を修正するための手段でもあります。

とはいえ先ほど書いた通り、規律が少ない状態では、ただ「良い感じ」なだけで、それ以上の「完璧」になることはできません。
この「良い感じ」と「完璧」の隙間を埋めるための要素が「コンセプト」にあると思います。

まず大前提として、ひとりひとり考え方の違う人間がひとつのチームとして活動する場合、最低限の枠組み必要になります。この枠組みが無ければ、「何をするのも自由」になってしまいます。やる人は自由にやるし、やらない人はやらないという状態ですね。
それを回避するために、「最低限これは守ってね」といった基準を設けることで、初めてチームとして機能します。

しかしそれだけでは、最低限の事だけを行う低パフォーマンスな集団になります。それを回避するもしくはそこからさらに推進するためにコンセプトが必要になります。

つまり、規律とコンセプトを上手く配合することで、双方の欠点を打ち消し合う作用が期待できるということです。

例えば徹底された評価基準では、「頑張るための仕組み」も「評価方法」も「給与」も「やりがい」も何もかもルールで定めてしまいます。「何をすれば評価されるのか」という事が明確なため、反論の余地なく規律に従う集団になる事はイメージできますが、評価項目外の努力だったり、評価対象にならない大切なことは必ずあります。
しかし「評価項目に基づく結果が全て」となると、イノベーションは期待できないでしょうし、規定された以上のやりがいを感じることもできないのではないでしょうか。

ですので、全てを定めてしまうわけでもなく、すべてを自由にするわけでもなく、最低限の規律を作りそれを順守しつつ、可能な限り「コンセプトの一致による個々の意欲で成り立つ」といった組織が実現できるなら、最高ではないでしょうか。

それを実現できるのが「会社という組織」の良い所だと思います。



究極の規律社会と究極のコンセプト社会

【それを実現できるのが「会社という組織」の良い所】とはどういうことでしょうか。

例えば規律に重きを置いた究極の規律社会とはどのようなものでしょうか。それは、国家でしょう。国家ほど大きな集団になると、もはや全員が同じ認識で生きるという事は不可能であり、共通コンセプトを作ることはできません。逆に言えばそういったパーソナルな部分を侵略しないという「思想良心の自由」が定められています。
そのため国家においてすべての人が不満なく共存するためには、徹底した規律を追加し続け、規律の穴を規律で埋め続けるという方法しかありません。
当然完璧なものは存在しませんし、その規律を管理する仕事が必要であったり、取り締まる必要もある・・・と言った形で「無駄に」管理コストが巨大化します。それでも取りこぼしがある状態ですが、「自由意思や善意に任せるよりマシ」といった感じでしょうか。
コンセプトが無く、規律しかない会社というのはこの「マシ」な状態といえますね。

一方でコンセプトに重きを置いた究極のコンセプト社会とはどのようなものでしょうか。それは、友達や恋人でしょう。
ふたりの間には何の規律もなく、ただお互いを思いやる気持ちや共感し合う世界観によってバランスが取れています。ふたりの性格や価値観が合わないからといって、徹底した規律を追加するようなことはしませんよね。規律を追加しない代わりに、ふたりが当初想像していた関係が「なんか違うな」と感じた瞬間に、その関係は崩壊します。(もしくは話し合いによるコンセプトの再共有での和解)
規律がなくコンセプトしかない会社というのは、なんだか居心地が良くてのびのび出来そうな印象がありつつも、厳密に制御できるものではないため、暴走や崩壊の危険がある状態といえますね。

「究極の規律社会」と「究極のコンセプト社会」このふたつの良い所を合わせて推進していく事ができるのが「企業」であると思います。



配合比率と色

さらに面白いのが、「規律とコンセプトをどの程度の配合で混ぜ合わせるか」というのが、「会社の色」と言えるのではないでしょうか。

各企業や業界によって、最低限どの程度の規律が必要かは変わってきます。
強力な規律を導入するなら、それに勝るだけの強力なコンセプトが必要となります。逆にすでに強力なコンセプトがあるのなら、それを統制するだけの強力な規律が必要になるでしょう。
これがどちらかに偏ってしまうと、「正しく機能しない」もしくは「暴走と崩壊の危険性」があります。

このバランスを取りながら、最適な配合比を見つけて、全員が不満なく一致団結できる環境を作る事が社長の役割ではないでしょうか?
理想論だけが先走っても具体性のない発言になりますし、目先の行動だけを指示されてもやる気は持続しません。この塩梅は非常に難しいかと思いますが、ひとりひとりの社員適正や業界情勢、社会の変化などに目を向けながら考えていくと、良い落としどころが見つかると思います。

ちなみに弊社ではこれまでコンセプトだけでやっていこうと思っていたほどコンセプト主義だったので、これからはそれに負けないだけの規律を設けようと思います。
しかしそれは行動を縛るようなものではなく、これまでのやり方で結果を出してきた社員に対しては、変わりのない状態もしくはさらに高い評価を与える状態となります。また、これまでの環境で結果を出せなかった社員に対しては、これから変わっていける状態もしくは変わるきっかけとなる評価を与えられる状態を目指します。



社会の闇(仕組み)

色々と考えてみて思ったのですが、この「良い配合比」を模索するのは各企業の社長の仕事であって、「どの企業にもピッタリとマッチする比率」ってないんですよね。

そうなるとコンサル会社や評価システム構築会社は、「どんな組織もこれ一本」といった経営方法を打ち出すことはできないため、ある程度偏った発信をせざるを得ないんですよね。

例えばティール組織を書いた人の本では自律型の良さを訴求していますが、それが完璧だとは言わないし、全員がそうするべきだとも言わないんですよね。また、評価システム構築会社の人は、安易に社員の自由を認めてしまうわけにもいかず、徹底した規律の必要性について訴求しています。
彼らの仕事は、自分が発信する内容が(ある意味)正しい物であると言い続けてお金を稼ぐ事なんですよね。かといって。「自分の発信するやり方だけが真実」とは言っていませんし、「各企業ごとの特色を踏まえつつ基盤を作っていきましょう」なんて言い方をします。
もちろん継続的なコンサルという形で契約して、実際に組織運営に立ち入ってもらうとなると、そのあたりのバランスまで考えてくれると思いますが、集客の段階や書籍としての出版、無料での情報発信の段階では、そのあたりの統合性については、「触れると却ってややこしくなる」という問題があるため深堀されていません。

と言うわけで今回の話は、世の中にあふれている情報を精査せずに取り扱うのは危険だなという事を改めて感じましたし、

過去に書いたこの記事が、より説得力のあるものになったかと思います。



【進化型組織を作る】まとめ

色々と試行錯誤しつつ迷走してきましたが、弊社では現在、規律を作成しています。
この記事を書いているのが2024年8月14日でして、恐らくもう今週か来週には仕上がる予定です。これも作り始めてからふた月ほどかかりました。
これを周知して、承認されて、実際に運用されるのは10月頃かと思います。弊社にとって10月は、ちょうど新事業の事業所運営を始めて1年となるため、良いタイミングでもあると思います。

また実際に運用して得た知見を共有できれば面白いかと思います。


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松本直樹@decico
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