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ヒコロヒーについて思うこと

ヒコロヒーというテレビ界において特異なポジションを持つ女芸人がいる。今日はヒコロヒーについて日頃思うことを語りたい。ちな私はお笑いオタクでも社会学者でもない。これはいちテレビ視聴者としてのただの感想であり、つまり過度な期待は禁物ということだ。
まずはヒコロヒーの特異なポジションについて。一般的に女芸人は美人すぎると容姿が邪魔して面白くても笑えない。その一方でブスだと自虐方向に走りがちで心の底から笑えない。普通だとそもそも印象に残らない。高学歴だと癪に触る。偏見だらけだが一般論だからしょうがない。そうした偏見まみれの女芸人界隈においてヒコロヒーは抜きん出ている。
ギャグセン、コメント力、表現力どれをとっても女芸人という偏見によるハンデを乗り越えて余りあるほどの能力の高さである。ただこれまでも上沼恵美子とか山田邦子とかカリスマ的な女芸人は存在した。でもそれは時代もあるのか女性目線でのツッコミでありボケの角度に収まっていたように思う。ヒコロヒーの場合もそこは変わりない。だが女性芸人特有の気負いだったりケレン味みたいなものがない。考えてやってるかどうか知らないがイメージ戦略もかなり時代性にマッチしていて、その辺りも含め功を奏してる気がする。
近所にいそうな不良の姉ちゃんという佇まい。コンビニ前でタバコ吸いながらつっかけでたむろしてるあのガラの悪い感じ。しかし一度口を開けばその印象は覆される。まったく物怖じしない歯に衣着せぬ物言い、落ち着いた口調の的確なツッコミはマツコみたいだ。松本人志みたいな天才タイプではないが、的確に空気を読み安定した打率で凡打もことごとくヒットにしてしまう器用さも上手さもある。
伊藤沙莉はそのハスキーボイスを武器に朝ドラ主演女優にまで登り詰めてしまったが、ヒコロヒーはそのハスキーボイスと共にダルい日常感を持ち込み、バラエティーを中心に人気を博している。
結局僕らは何重にも重ねたメイクと着飾った衣装をまとった想像上の女性ではなく、近所に住むすっぴん女性の怠惰な日常感を求めていたのかもしれない。

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