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別に僕はいいんですけど

と言う、本当は全然いいと思っていない前置きで言いたいのですが。

誰しも主人公感を持って生きてる、と言うか余程の俯瞰的視点を持ってない限り、今、この自分を根幹に置いて考えるしか無いわけじゃないですか。
そう言う意味で、割と僕なんかは「俺って特別な存在だぜぇっ!」みたいな感覚から脱却出来ないまま歳を重ねた、結構痛々しいバカヤロウだったりするんですけど。
そんな激痛くんが思うのは「俺の今生きてるこの時代って、今まさに変革を遂げようとしている、『過渡期』なんじゃないか⁉︎」「俺は特別な瞬間に立ち会っている、選ばれた世代の人間なんじゃないか⁉︎」ということです。
激痛くんはアレなのでなかなか気付きませんが、実際には、いつだって、どの瞬間だって、どこかへの「過渡期」です。
たまたま「世代的にゲームの進化を目の当たりにした」とか「インターネットの普及する様を見ていた」とか、そんなんに生きてる時代が当たったからって、取り立てて特別なことでは有りません。
自分がウェーブを起こしたならまだしも、傍観者であったり、恩恵を受けただけであったりするわけで、そんな存在が特別とは言えません。

しかし。
それでもやはり、自分が作った自分だけの物差しは「『今』って、どー考えても目まぐるしい時代じゃね?」「2000年からこっち、すごくね?」と己に語りかけてきます。

ここまでが前置きです。
本編です。

今って、めっちゃ優しい時代だよね

こう思います。
もっと言うと、「現代は、優しさの終着駅に着かんとする過渡期である」ということになります。
世相をどうこうは、今更私なんぞが、なので割愛しますが、多様性の認知と保護の時代となりました。
私が挙げられる身近な所では、多分「徒競走、みんな並んでゴール」辺りがスタートだったのではないでしょうか(本当にそれが行われていたのかどうか、僕は知りませんが)。
良し悪しですとかは、社会学者様が判断すればよろしいかと存じますが、しかし僕は、端的に「最終的に人類滅亡すんじゃね」と思っています。

僕はいい大人になっても、芸能人にうつつを抜かす人間でして、事あるごとに「ガッキー可愛い」とか「ポルカドットスティングレイの雫さんって神じゃね」とか言って妻に白い目で見られたりするわけですが、こういう類の事も、遠からず言えなくなるわけですよね。

だって、「誰かを可愛いって言うこと」は、言外に「可愛くない誰かの存在を認めちゃってる」ってことでしょ。
それって確か許されないんだか、間もなく許されなくなるだか……でしたよね。

別に僕はいいんですけど。
未来が見えます。

まず、この先「型」が必要になるでしょう。四角いスイカを作ったりする時の、ああいうのの人型バージョン。人が産まれたらそれに入れて育てる。文字通り型通り、外見差別の発生しない人型に成長します。
次に、頭にUSB的なデバイスを刺すことになります。

「あいつ勉強できねー、うけるー」 →   逮捕

ですから。
誰しもが同一の知能を持った存在になります。

すぐにそうなるわけではないでしょうが、多分、まあ、滅亡するんでしょう。
そうなる前に、僕は思いっきり、ガッキーの可愛さを声高に叫ぶのみです。

妻には引かれるかも知れませんが、別に僕はいいんです。

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