新スラ日記 Day 120

日付変わったので、書いていこうと思います。

今日は新型コロナウイルスのファイザーワクチンの一回目の接種を受けてきました。接種時刻は13時30分。様子見としての滞在は15分なのだけれど、アナフィラキシーは接種から30分ということで、30分間残って落合陽一さんの半歩先を読む思考法を読んでました。記憶とか、豊かさとか、様々なことがテーマとして散りばめられたとても読み応えのある本だと思った。まだ一部しか(なんなら最初の2パート位)読んでないので、あれこれ言わないし、深く考えてすらないからあれこれ言う資格もないので、感想はここらへんで。

んで、あの本読んだらなにか物思いに耽って考え事したいなぁと思ったので、接種場所から自宅まで徒歩ではかなりの距離なのだけれど、歩いて帰ることにした。まぁ普段は自宅でいることしかないので、たまにはもののついでということで歩きながら風景写真を撮ったりしながら考え事するのも悪くないかもな、と思っている次第。

今日はその帰路の中で思ったことを認めておこうと思う。この内容はあとであずちゃんねるというサブ垢にも掲載する予定。

今日は曇り空だった。そして外の風景・町の様子は特に変わっていないのかもしれない。というmaybe表現をしているのは、その道を通るのが初めてだから、変化の様子を明確に認識できるのは、工事中である、ということくらい。そういう化学平衡的世界のなかで我々は生きている。でも全てが平衡的というわけではなくて、中で起きている変化が何らかの非平衡なるものを生み出すことがあるのだろうと思っている。ときにそれは大きなものであったり、微々たるものであった。いずれにしても、その変化は規模の大小はあれ、共同体に何らかの形で作用する。それがプラスとなる還元であるために、我々がどう科学や技術を活用していくかということは、科学者でなくても考えてみる価値はあるし、考えておかなければならないのだろう。昨日は東京パラリンピックの閉会式があったようだ。生まれながらにして身体にディスアドバンテージがある者たちの存在が肯定され、精神的にも不自由がないように、たとえばX‐Diversityの乙武洋匡プロジェクトのように機会の平等実現に向けたテクノロジーの活用だとかそういうことも考えておくのもおおいなる価値があることかもしれない。自分と違っていても「あなたがそこにいるのは良いことだ」と存在を認められるような基礎を作るのが科学であり、人間の責務なのだろう。そう言えば仮面ライダービルドの主人公、桐生戦兎が「一人一人がlove&peaceを胸に生きていける世界を作る」と言っていたし、氷室玄徳も「礎を作ることはできる」と言っていた。この二つを合わせれば、今述べたことと重なるところがあるのかな、とも思ったり。

あとは、曇り空を見ながら、人生における大半は空模様で、光もそうよく見えない世界なのかもしれない。その中で、太陽光という名の一縷の望みを見出してそれに期待を寄せ、希望をもとに生きていこうとするときもあれば、逆に自分の生きる世界に失望したり、時には絶望したりしたときには、雨が降り注ぐ。ただ、何らかの喜びにより雨が降ることもあるだろう。そんな自己の生きる世界に対する喜怒哀楽といった様々な感情を胸に人生という名の天気は移り変わるし、自己の破壊と創造は繰り返されていくのだろう。だからこそ、晴れと雨が両方存在し、それを感じ取れるからこそ世界は素晴らしく輝けるのかもしれないし、時には相反する自己同士が存在しそれが競合したときには自己矛盾による自己嫌悪を感じたり、世界なんてクソくらえ!と世界が醜く感じることもあるだろう。世界は醜くも美しい。美と醜はある意味表裏一体なのかもしれない。醜さに絶望してもそれでもと立ち上がる生命感は実にいい。一度しかない人生、どれだけ自己の生命を燃やすか、エネルギッシュになるかというのは心の豊かさなのかもしれないと、豊かさについての持論は固まってはいないけれどふと思った次第。

更には、その自己の破壊と創造の中で相反する存在同士というべき絶望と希望が共存し、自己を摩耗させていく中で、全てに価値が見出せなくなる領域に達したとき、自分の価値はいったいどこにあるのだろうか。

こんな記事を数日前に書いた記憶がある。現実には一週間くらい前だから、時間経過はかなりの速度になっているようだ。この記事の中で、人=代替物と書いたが、大抵の場合はそうなのかもしれない。自分が価値を見出した部分、たとえば上記領域に達した後、それでも、と思って立ち上がった部門を何故選んだのか。その理由付けは存外難しい。それを選びたいと望んだのは否めないが、なぜそれを望んだのかは説明が困難。その名状しがたい部分こそが、自己の真の固有性なのかもしれない、と上記流れから考えていた。自分が望んで選択をした自己こそが摩耗してもなお残り続ける真の固有性、何者にも代えがたい価値なのかもしれない。そう思うと、その領域に達する意欲が再燃したように思えてきた。灰色の領域を目指して命を燃やし、摩耗して、その領域に達してそこから自己の意思の下選択をした、その理由において名状しがたい部分を見出してみたいなとふと思った。

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