びしょ濡れしょうが焼き弁当
こんな話をテレビで見たことがある。
たしか外国の話だったはずだ。
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「なんか顔色悪くない?」
この街に引っ越してきてから出来た友人が女性に言った。彼女は先ほど見た鏡に映る自分の顔を思い出す。特に気になることはなかったし、通勤途中だったので「あらそう?」と聞き流し会社に急いだ。
「顔色悪いですね」
会社に到着するや否や同僚に言われた。「そんなことないよ」と反論する。今日はここ数日のなかでも特に体調が良く気分も爽快なのだ。
「顔色がよろしくないのですが」
職場に常駐している医者に言われるとさすがに気になってきた。「特に気になることはないのですが…」と言うと医者は「う〜ん」と唸るばかりだった。
女性はそれから1ヶ月ほど、みんなに「顔色悪くない?」「体調大丈夫?」と言われ続けることになる。
すると女性は次第に体調が悪くなり衰弱し、そして亡くなってしまった。
この女性は病気にかかった訳ではないし持病もなかった。であるにもかかわらず、健康体な彼女は亡くなってしまったのだ。
その知らせを聞いて友人、同僚、医者がほくそ笑んだという。
この話、実は周囲の人間が手を組み「顔色が悪くない?」と何度も声をかけることで暗示をかけていたのだ。
すると、実際には体調が悪くなくても「そうなのかな…」と不安になり身体に変化が起きたらしい。呪いの正体もこれかもしれない。
もし私がこの女性と同じ環境になったらどうなってしまうのだろうか。気付かないところで手を組まれ疑心暗鬼にさせられたら。
こんなことを思い出すきっかけは先日のご帰宅、ランゼさんとおりひめさんのBD衣装お給仕の日に起きた不思議な出来事である。
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「あっ! でっくさんおかえり〜」
7階で最初に声をかけてくれたのはゆずはさんだった。「どうも〜」なんて感じで右手をヒョイと挙げる。
「おかえりなさいませ〜ご主人さま!」
よなさんがお出迎えだ。
いつも以上に笑顔でお出迎えをしてくれた。何か良いことでもあったのか、と思うほどに。
「こちらドジっ子トラップになっておりますので、足元お気をつけくださいっ!」
初ご帰宅以降で省略されやすいこのワード。ここまでしっかりやるということは「スタンダードなお給仕」をする日にしたんだな。
「たまには普通なご帰宅も良いかも」と考えつつ「普通じゃないご帰宅ってなんだ」とも思った。
「ご注文お決まりですか?」
アイスコーヒー、複数のメイドさんと一緒に撮影するオプションを付けたチェキを注文する。
よなさんがそうくるならと、こちらもいつも以上に丁寧な口調と対応を心がけてみる。
「それでは萌えウォーターをお持ちしますので…」
「あの…」
一応確認をしてみる。
「あの、今日ってその、なんというかスタンダードな感じでいくんですか? バカ丁寧な対応してくれるので…」
いつもだったらここで「ハハハ」と笑い出して「ですよね〜」なんて言いつつ終わるはずだ。
すると、よなさんはこちらに向き直し、
「なにがですか? いつもですよ〜」
と言った。鳩が豆鉄砲を食らったら妙に痛くて、よく見たら豆が身体を貫いてることに気付いた時の顔をしてしまった。
そしてここから、なんとも言えない不思議なご帰宅タイムが始まるのだ。
昨日3階で会ったばかりのつららさんがやってくる
「お久しぶりですね! ご主人さま!」
「えっ昨日3階で会ったはずじゃ…」
「そんなことないですよ〜」
「たしか、3階でもいつもと変わらないから 『人の家で暴れないでください』って話をしたような」
またまたそんな、という感じに話を流される。「7階にはよくご帰宅されますか?」と聞かれた時、ついに脳の処理速度が足りなくなり「ああ…はい…よくご帰宅します」とISDN時代のネットくらい遅い反応をしてしまった。
今日は何かがおかしい。
ステージ上で久々に会うナギさんに「はじめまして〜よろしくお願いします〜」と、いつもより1オクターブ高い声で対応される。連絡網が回ってきたときに親が電話口で出す、あのなんとも言えない声だ…と思った。
「ポージングですがにゃんにゃん、ハート、スマイルとありますが、どれになさいますか?」
深淵のような瞳でつららさんが尋ねてきた。
たしかに初ご帰宅の頃、こんな風にポージングを誘導してもらった記憶がある。
「じゃあスマイルで…」
マクドナルド以外で言うこともあったんだなと思った。マスクで口元は隠れているけれど、みんなは笑ってくれているだろうか。
そっとナギさんの方を見ると、目が笑ってなかったような気がする。
続いてランゼさん、おりひめさんとチェキを撮る。ふたりともBD衣装が似合っているし、オリジナリティがあってとてもかわいい。
ご帰宅前にはランゼさんの「今日の私、爆裂カワイイかもしれん」的なツイートを見てワクワクしていたし、この機会におりひめさんと交流を…と思っていた。
もしやこのふたりも…と頭をよぎったが、今日はとても忙しいのでそんな余裕もないだろう。
「チェキありがとうございます! うれしい!」
ランゼさんが言った。
希望と書かれたガラスをナース服の椎名林檎が蹴破る。ささやかな私の希望はいとも簡単に打ち砕かれたのだ。
私が何かで困っている時か困らせている時にしか見せない微笑みをランゼさんが浮かべていた。
その後、チェキを持ってきてくれたナギさんも張り付いたような笑顔で「7階はよくご帰宅されるんですか?」と言ってくる。やはり1オクターブ声が高い。
三者面談を思い出してソワソワしてしまう。
これで確定した。
やはり今日は、何かが、おかしい。
どこかで世界線をまたいでしまったようだ。
そうだとしたら、いつ選択肢を間違えたのだろうか。
朝起きてから今までのことを考えてみると「そもそも生まれてきたのが間違いなのでは」という結論に何度も至ってしまい、絶望したので別アプローチで迫ってみる。
どのタイミングで別の世界線に来てしまったのか。
本日のご帰宅を脳内で逆再生してみる。
遠くから聞こえた「疲れた!」というよなさんの声。
電話口で担任教師と話すような声のナギさん。
ガラスを蹴破るランゼさん。
深淵のような瞳のつららさん。
衣装が前後逆だったおりひめさん。
途中、記憶と妄想が入り混じり大変なことになっているが気にしないでほしい。
口裏を合わせるにしても、その日にご帰宅する保証はないし、誰とチェキを撮るなんてのも予想は不可能だ。
列に並ぶ私を見たとしても、その連絡網を回すスピードはKGBを思わせる。
だとしたらどうして……アキバの街を歩きながら、電車に揺られながら考えた結果、私はとある真実に到達する。
最初に声をかけてくれたゆずはさんの「でっくさんおかえり〜」である。このワードが鍵だった。
ゆずはさんは何度「もみあげデカ太郎ですよ」と訂正しても私のことを「クソ耳デカ太郎」と呼ぶ。つまり「でっくさん」とは呼ばないのだ。
あの時点ですでに世界線をまたいでいた。
QED、証明終了である。
帰宅途中、近所の神社に立ち寄り今日のことを考えていた。不思議すぎるご帰宅だった。
一度でも蒙古タンメン中本を『おいしい』と思ったら、普通のラーメンでは物足りなくなるあの気持ちに近い。
物足りないというのはおかしいが刺激が足りない。ご帰宅に刺激を求めてはいけないのは理解しているものの、身体がいうことをきかないのだ。
ご帰宅は麻薬だ。しかしもう後戻りはできない。
なんてことを妄想していたせいで、買ったお弁当を神社に忘れてしまった。そのことに気付いたのは家についてから数時間後だ。
「気軽に世界線を飛び越えてはいけないな」と、ゲリラ豪雨でズブ濡れになった『しょうが焼き弁当』を回収して思った。
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メモ
■『みらんだちゃんがかわいくてスタイル良くて性格もいい』って書いといて、と言われた。
■その日のみらんださんは、ずっとパプワくんみたいな口調だった。
■おりひめさんに『天さん』と呼ばれている理由を聞きたかった。
■マオマオに後頭部を見られたので、自分でも見てみたら『40歳の後頭部』という感じで愕然とした。