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『三つ編みメガネと世界征服』 / 2024年5月26日

「ちょっとでっくさん困ってるじゃーん!」

 僕以上の困り顔でるきが言う。たしかに僕は困っていた。いや、困っていたというより、みんなが協力してくれる高速ループの速度に身体が追いついていないのだ。

「いや、こっちじゃないから」

 るきに向けてしまったハートを、ショットグラスに向け直す。苦笑いしながらあいこめをする彼女の後ろで、ころねが「手伝うからまかせろ!」とガッツポーズをしている。

 マオが卒業を発表して、途方もない高速ループが始まった。おおよそ残り230回。卒業までは約2ヶ月。
 マオは4月後半に休暇を取るらしいので、なんとかそれまでにランクアップしたいところ。おそらく5月上旬はお屋敷が混むだろうし、そうなったら認定証を描くには時間が足らないかもしれない。となると、おおよそあと半月か。

「今日のループが18回? 次回はこの数字超えたいね」

 みりおんがそんなことを言いながら笑っている。このペースなら大丈夫そうだ。




「でっくはいつブラックになるの?」

 今年の初め頃、マオがぼんやりと言った。

「このペースだと夏頃かもですね」
「遅い! もっと早くランクアップしろ!」

 今まで何かを要望されるようなことがなかったので、なんとなく「もうすぐ卒業するのかも」なんて思ってしまった。当たらない僕の予想は、こんな時にだけ的中する。勘弁してほしい。





「マオマオのツイッター見て〜」

 配信しているラジオ番組が始まる5分前に、マオ仲間のお嬢さまから電話がかかってきた。あまりに悲痛で落胆したトーンだったのでうっすら察したけれど、念のためタイムラインを遡ってみる。

「あ〜」

 気の抜けた、ため息のような声が出た。

「マオマオ、卒業しちゃうよ〜どうしよ〜」

 電話越しにそんな声が聞こえた気がする。番組の配信開始時間はとっくに過ぎていて、コメント欄に「でっくいる?」「音聞こえない」と、流れていくのが見える。

 「ちょっとあとでまた連絡していいですか?」と言い、冷たくなった指先で通話を切った。

 なんとなく予想はしていて、なんとなくの覚悟はしていたつもりだった。けれど、それはやはり『つもり』であって、実際に直面すると自分の脆さを痛感する。この日の配信は、そのことを忘れようとして闇雲に明るく振る舞ってしまった。

 卒業と聞いて、悲しいや寂しいという感情より先に、ちゃんと見送ることができる喜びがある。最初から最後まで見届けることができるなんて、これ以上に嬉しいことなんてないはずだ。




「すみません……オマと描いてしまいました」

 この世のカルマを一手に背負ったような表情で、新人メイドのマオが言った。

「いや! オ、オマもいいよ! オマこそいいよ!」

 オマこそいいって、どんなフォローなんだ。

「すみません……コレチェキが初めてで」

 話しかけるとペンの動きが止まってしまう。ペンを止めて少し話す。そしてまたペンが動き出し止まる……を繰り返していた。『コレチェキの時間は厳守』なんて言われているかもしれない。焦らせてはドツボにハマってしまいそうだ。そんなことを考えながら、コレチェキの時間は徐々に無言になっていく。

 帰りがけに目に入った初お給仕のツイート。黒髪の三つ編みでメガネ。そして『世界征服しましょうね』の文字。どんなメイドなんだ、と僕の『変なメイドアンテナ』が過剰に反応した。気になりつつも、ご帰宅欲は先ほど6階で満たされてしまっていたので、「まあ帰るか」とスマホを改札にタッチする。

 ピンポーン、という音と共にゲートが閉じた。残高不足。さっき見た初お給仕のツイートが脳裏をよぎる。三つ編みメガネと『世界征服』……これも何かの縁かもしれないな、そんなことを思いつつ振り返ると、夕暮れが秋葉原の輪郭をぼやけさせていた。

 描き進められていくコレチェキを見ながら、初めてでこのお絵描きレベルはなかなかでは、なんて思っていた。ふと見るとまだ死にそうな顔をしている。『オマ』と描いたことは、こちらが思うよりも深刻だったのかもしれない。

 そんな姿を目の当たりにして、もしかしたら彼女はすぐに卒業してしまうかもな、なんて思っていたが、当たらない僕の予想は当然のように外れた。





 初日の高速ループ回数をなかなか越えられずにいたが、着実にランクアップまでのポイントは減っていく。マオが望んだことのひとつを叶えられるかもしれないという喜びと共に、別れの準備をしているような気分になって寂しさは募っていった。ランクアップしてもしなくてもマオは卒業する。その事実だけは変わらない。

 別れは昨日今日に決まったわけじゃなかった。出会った時にカウントダウンは始まっていて、ゆっくりと別れに近づいていたんだ。今更そんなこと、気付かせないでくれ。




 会ってからすぐにマオを『推し』だと言えなかった。推しだと思ってなかったわけじゃない。ただ、そう言うには自分自身が足りていなかった。

 オタクは勝手に推しの看板を背負ってしまう。誰かを推しだと言った瞬間、周囲から見れば『○○推しの人』になり、行動や言動のひとつひとつが推しに直結する。

 果たして僕はマオという存在に見合う人間であるのか。もはや勢いだけで誰かを『推し』と言えないほどの、自尊心の低さ。自分の人生を思うたび、申し訳なさが勝ってしまい言うことができなかった。

「でっくはさ、でっくの周りの人もでっく自身もすごいんだから大丈夫だよ」

 ある日、コレチェキを描きながらマオがぽつりと言った。その一言が今でも忘れられないでいる。たぶんマオを『推し』だと言い始めたのは、この頃だったと思う。

 それからの僕はというと、マオの周年と誕生日にはイラストを発注して、ドヤ顔でグッズを制作するようになった。「すごい」と言ってくれた人が喜んでくれるかもしれないから。ただ、それだけだった。

 それから1年後には、「でっくのことを悪く言う奴は殴って回る!」と言っていてさすがに笑ったけれど、それも嬉しかった。




「何も知らないメイドがこの認定証を見てギョッとして、正面見たら同じ顔がいるからギョッとするんだよ」

 そう言いながらマオが笑っている。マオはでっくという人間をこねくり回す時に、とても生き生きとする。たしかに持ってきてくれた認定証はなかなかに異様なオーラを漂わせていて、事情を知らないメイドに見せるのは躊躇してしまうかもしれない。

「ブラックなのに本当にこれで大丈夫?」

 少し不安げにマオが言う。今更、だ。

「逆にこれ、嬉しくない人いる?」

 ストレートに返す。するとマオは何度も見た呆れ顔で、

「こんなことされて喜ぶのでっくだけだよ。あと、ほうれい線足してくるから返して」

 と、笑いながら言った。返ってきた認定証には、緑色の汗も足されていた。





 明らかに初動が遅いコレチェキ集めをしている。卒業まで残り2週間を切った。再来週にはもう、6階にマオがいない。

 卒業が発表されてから、集めるのをどうしようかずっと考えていた。マオのすべてを知るわけではないから、誰かが入っていて誰かは入っていないという状況になるこのコレチェキ集めを躊躇していた。





「アクスタ、5個作るつもりが間違えて35個作っちゃったんですよ」
「だったらいくつかもらえたりする?」

 保管用、とかだろうか。3周年記念にと作ったアクスタをいくつか手渡す。

「もし、欲しかったけどもらえなかったって人がいたらかわいそうだし」

 そう言いながら、アクスタをひとつ開封して名札に引っ掛けた。大きめに作ってしまったので、メイド服が重みに負けている。

「いいね」

 玉座に座ったイラストのマオが、企み顔で揺れている。


 平等。それがマオの印象で、推す理由のひとつだ。誰かを貶めることも、賞賛しすぎることも、贔屓することもない。

 だからだろうか、僕から見えるマオの周囲はいつも穏やかだった。それがなんだか心地良くて、こうして今まで追い続けることができた。
 
 平等でいることは簡単なことじゃない。物事に差をつけないということは、自分がどこかで我慢をしなければならない。自己犠牲なくして平等は成立しない。そんなことをマオから知った。

 骨は折れて強くなるが、心はそうではない。普段、ナチュラルに差別をされる世界で生きている自分にとって、マオの平等さは新鮮で気が楽だった。





 出会ってから今日まで忘れた日は1日もなかった。これは大袈裟な話でもなんでもない。
 お給仕予定を最優先に毎月のスケジュールを書き込んで、それに合わせて生活をしてきた3年で、そのおかげというかなんというか、充実した毎日を送ることができた。正直、スケジュール的に無理をした日もあったけれど、それも今となっては良い思い出だ。

 どこに行っても何をしても、ふとマオを思い出しては「これは好きかも」「今度はこの話をしよう」なんて思ったりしていた。
 人は、理由が無いと頑張れない。目標があるからそこまで歩いてみようと思える。マオは僕にとっての目標であり理由でもあった。この3年2ヶ月、間違いなくでっくの人生の中心にマオがいた。

「ありがたいことに卒業の日に入りたいってメイドが多くて、もしかしたら自分が入れないかもしれない」と、マオが言った。そんなことあるわけがない……と言い切れないのがマオなのである。

 だとして、もし卒業の日にeparkが出なければ、マオはご帰宅できるのではないだろうか。自分の卒業の日にご帰宅をするメイド。ありえない。しかし、ありえないことをいくつも目の当たりにしてきたので、それすらもありえそうな気がしてきてしまう。

「そうなった場合、たとえば花を渡したいとなったらどう渡せばいいんですかね。お客さん同士だからといって渡せないだろうし、妖精さんにチェックしてもらったとして、メイドさんからお客さんの立場であるマオマオに何かを渡すってできないですよね」

 面白すぎて混乱した頭をどうにか整理してメイドに言ってみる。やはり意味がわからない。





 その日のラストはメイドとご主人さま・お嬢さまの数がピッタリ同じくらいで、いわゆる『まったり』なお屋敷だった。

 ステージでダンスの練習をするころねとるきを見たみりおんが「じゃあやろうよ」と言って始まったお楽しみ会。こんなにぬるっと始まることなんてあるんだな、なんて思っていた。

 ここ最近、マオはお楽しみ会に対して積極的だ。これまでの3年間、誰かのSP以外でマオのお楽しみ会を見た記憶がなかったのに、ここ1ヶ月で3回くらい見ている。卒業が決まったから、というのもあるのだろうか。徐々に上達していくダンスを見ながらハート型のペンライトを振る。

 やりたいと思う人が次々に参加していくという、変則的だけど笑顔と優しさに包まれたお楽しみ会が終わり、メイドが自己紹介をしていく。

「マオでした〜」

 そんなそっけない一言で終わらせまいと、並んだメイドが「何かもう一言!」と促す。するとマオは、

「こういうことがしたくてメイドになりました。ありがとうございました」

 と続けた。声は少し震えていた気がする。
 マオは、こちらが思うよりもずっと幸せだったのかもしれない。




 推す、というのはどこまで行っても独りよがりだ。「おそらくこうだろう」という思い込みに自信を持って、一方通行の愛情を投げつける。この文章なんて良い例だ。

「推しがそれをしてほしいって言った?」

 いつか知り合いに言われた言葉を思い出す。その時はまだ通い始めたばかりで浮かれていて、思いのほか刺さってしまったがいまは違う。この壁打ちのような愛情に自信がなければ、相手に響かないことを知っている。

 自分の行為に自信をもつこと、それが推しに対して自信を持つことでもある。もはや『推し活』なんていうカジュアルなものではないのかもしれない。




 集め始めたコレチェキもそれなりの数になり、メッセージカードもそこそこ配ることができた。したくもないサヨナラの準備は、思っていたよりスムーズに進んでいく。




 僕は2つだけ嘘をついている。

 1つは『3周年記念に作ったアクスタの数』だ。みんなに「仕事で作る他のアクスタと間違えて大量に作ってしまった」と言って回った。実際には違う。元から35個を発注していた。

 マオというメイドをみんなに知ってもらいたくてその個数を作ったんだ。それに、マオが思っているよりマオを思うメイドもご主人さま・お嬢さまがいることも知っている。誰にも忘れてほしくない。

 そしてもう1つ。卒業を知った時、「さみしい、っていうより、最後まで見届けることができる喜びのほうが大きい」なんて言った。そんなことはない。単純にさみしい。

 この3年と2ヶ月、人生の中心に存在したマオがいなくなる。さみしくないなんてわけがない。

 当たり前だと思っていたことは、ひとつも当たり前じゃなかった。出会ったことも、話をしたりチェキを撮ったことも、3年もメイドを続けてくれたことも。すべては奇跡の積み重ねで成り立っていたんだ。

 今にして思えばマオとの出会いは運命だった、と言っても差し支えないだろう。こんなことを言うと、またマオは苦虫を噛み潰したようなしかめっ面をするかもしれないが、最後くらいは許してほしい。

 「私が卒業するまでに、でっくも賛否両論な文章書いてバズってよ」という願いは叶えられそうにないけれど。




 5月26日が始まった。
 ポケモンスリープで起床して、電気ケトルのスイッチをオンにする。マグカップにスティックコーヒーを入れ、お湯が沸く間に歯を磨く。磨き終わったら、お湯を注いでPCの電源を入れる。ここ1年近く続けているルーティンなのに、今朝はどれもまともにできなかった。やっぱりというか何というか、卒業の日なんだもんな、と思う。

 到着するとまだお屋敷はまったりで、昼頃からたぶん混みますね、なんて話をする。妖精さんがマオ推しの方を見かけては声をかけている。

 卒業の日に本人がいないというのは、5年通って初めての体験だ。「今までたくさん驚かされたけど、今日がやっぱり1番かもですね」なんて、妖精さんと言葉を交わす。

 ぼんやりと許容の空気が漂っている。この状況を誰も怒ったり貶したりしていないのは、マオのメイド人生が正しかったからだろう。紆余曲折、多事多難、傍若無人……側から見たらこんな感じだったけれど、思うよりずっとメイドとして、人として真っ直ぐだったのかもしれない。

 メイドから色々な話を聞いていると、3Dプリンタが出力を進めるように、ゆっくりとマオが形成されていく。時々、破天荒なエピソードが舞い込んで、いびつになるところも彼女らしい。

 夢が支離滅裂なのは、全人類の見た夢を繋げるとようやくひとつの物語になるからだ、というのを聞いたことがある。それに似ているな、と思った。




 結局、マオは現れなかった。
 最後に聞いた言葉は「またね」でも「さよなら」でもなく、「まだでっくと話したいこと、たくさんあるよ」だった。こっちだってそうだ。これから誰と「ゴジラとキングコングは喧嘩ップルだ」なんて話をすればいいんだ。また変な映画を教えてほしいし、ゴンチャのおすすめも聞かせてほしい。

 マオが喜ぶかも、なんて思って作った『首』に出てくるセリフのフォトプロップス。全チェキで出したらメイドの誰もピンと来てなくて、よくわからないセリフ(しかも改変されている)のパネルをおじさんが持っているだけになったことの責任を取ってほしい。

 後悔がまったく無い、と言えば嘘になるけれど、あまり感じていない。それだけ大切に思い、考えて接してきたんだな、と思うと、ここ3年2ヶ月の僕の推し方も間違ってなかったと思いたい。

 気付けば秋葉原駅。
 いつかのように振り返ってみる。

 あの日、名前を間違えたマオは、今日のマオを想像できただろうか。
 あの日、改札で弾かれてマオと出会った僕は、今日の僕を見たら何と言うだろうか。

 22時が近くなると「はよ帰れ」と何度も言われた気がする。そんなことをこのタイミングで思い出して、少し笑った。





 週に3日も4日も会っているので、さすがに話すネタが無くなってきた。今年に入ってから、間違いなく親よりマオに会っている。
「また来たの?」「話すことはもうない」「いつまでいるんだ」「早く帰れ」なんてマオに言われつつ、6階でぼんやりしている。

「そういえば、世界征服する目的ってなんですか?」
「急にどうしたの」

 コレチェキの時間が無言のまま半分を過ぎた頃、このままではまた「はよ帰れ」なんて言われてしまうので、無理やり口火を切った。

「なんとなく気になって……いや、そんな『今更かよ』みたいな顔しないでください」
「私が世界征服したらさ、」

 こちらの言葉を無視してマオが喋り出す。もう、いつかのようにペンが止まることはない。

「私が世界征服したら、世界が平和になるだろうから」


 たしかにそうかもしれない。
 そして、俺がマオを推すのはそういうところなんだ。

2024.05.26

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