7/17放送分「祇園祭について」
祇園祭はみなさんご存知の通り、東京の神田祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭の一つとして数えられています。千年以上の歴史を持ち、7月1日の吉符入りから、31日の疫神社夏越祭まで、1か月にわたって多彩な祭事が行われる八坂神社の祭礼です。
今日17日は、祇園祭前祭のハイライトである「山鉾巡行」と、夕方には神輿を担いで渡御する「神幸祭」が行われます。
17日と24日に行われる、34基による山鉾巡行と、八坂神社の神輿渡御は祇園祭最大の見どころ。鉾や山は、重量12トン・高さ25メートルにも及びます。
祇園祭の主体は、氏子たちが担ぐ神輿渡御。17日の神幸祭、24日の還幸祭には約1600人の担ぎ手が集まります。
平安時代前期の869(貞観11)年、京都で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、八坂神社の神輿を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされます。
応仁の乱(1467~77年)で山鉾巡行は途絶えましたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興。 以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになりました。 これら懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれます。
江戸時代にも火災に見舞われたり、第二次世界大戦で再び中断しましたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られています。
現存する33基の山鉾のうち29基が、国の重要有形民俗文化財に、山鉾巡行は重要無形民俗文化財に指定。2009年9月30日には、ユネスコより無形文化遺産に登録されています。
山鉾巡行は本来、神輿渡御に伴う「露払い」の位置づけで、神幸祭に先立つ「前祭(さきまつり)」と還幸祭の「後祭」があります。 高度成長期以来、交通渋滞や観光促進を理由に、前祭と後祭の合同巡行が続いていましたが、 祭り本来の形を取り戻そうと分離が決定。2014年、約半世紀ぶりに後祭の山鉾巡行が復活しました。
山鉾巡行は9時からで、くじ改めから始まり、9:20ごろには注連縄切りが行われます。四条麩屋町の角に張られた注連縄は、神様との結界を示します。これを長刀鉾のお稚児さんが太刀で切ることで、山鉾が神の神域に入ることが出来るというものです。
現在のようにお稚児さんが注連縄を切るようになったのは、昭和31年からだそう。この年に前祭の巡行経路が変更され、その目玉として始まりました。江戸時代には、長刀鉾町の人によって低い位置にあるしめ縄が切られていた記録があるようですが、それが途絶えたのちに観光的なパフォーマンスとして復活したものが現在の注連縄切りです。
復活した当初は寺町通を上がった位置にしめ縄が張られていましたが、数年後に現在の四条麩屋町に移されました。ですので、注連縄切りは比較的新しい行事といえます。
注連縄切りの際に奏でられるお囃子は「お渡り」と呼ばれる奉納囃子で、コンチキチンのリズムとは違った厳かな曲調です。この奉納囃子は、疫病で命を落とした人々の霊を鎮魂する目的で奏でられるそうです。
山鉾巡行のルートは、四条烏丸の交差点を出発し、四条通・河原町通・御池通の順で、左回り・反時計回りに巡行します。さき祭り山鉾巡行では、くじ取らずの長刀鉾を先頭、船鉾を最後尾として、23基の山鉾が巡行します。祇園囃子が奏でられ、くじ改め・注連縄切り(長刀鉾)・長刀鉾による稚児舞・辻回しが行われます。
山鉾は巡行を終えるとすぐに解体、収納されます。山鉾は疫病を集める役目を果たすとされているので、巡行を終えた山鉾のなかには疫病を携えています。そこで、巡行が終わるとすぐに解体しなくてはなりません。そうすることで、疫病を流し去ることができるといわれているのです。
すぐに解体されるのは寂しい気もしますが、解体作業も迫力があり一見の価値あり。なかなかみられない光景ですので、巡行後時間のある方は、見学するのも面白いかもしれません。
なお山鉾巡行の様子は、NHKやKBS京都などで生中継されます。ネット配信やライブカメラで見ることもできますので、現地に行けない方は映像で生の臨場感を味わってください。