ボールゲームへ
大平は空気が見たかった。
それは雰囲気という意味ではなく、文字通り空気、つまり大気のことだ。
まだ少年の頃、空気というものを物質として理解して以来
それは憧憬の念となって彼の心を離さなかった。
老師は言った。
「大平よ、お前の見ようとしているものはどこにあるのか」
大平は答えた。
「師よ、それはこの両手の間にあるものです」
老師は言った。
「愚か者!それはお前のその目に、眼球にへばりついておるではないか!」
大平はハッとした。
これ程までに近くから見ても見えないとはどういうことか。
いや違う、見ていたのだ。ずっと。生まれた時から。
見えるもの全ては空気なのだ。
しかしその考えは程なくして打ち砕かれた。
真空というものを知ったのだ。
鈴の鳴らない瓶を眼球に密着させて向こうを見ても違いが無かったのだ。
大平の落胆は大きかった。だがそれを救ったのが野球だった。
野球をしている時だけは、空気を見ることを忘れられた。
気づくと大平は野球で金を稼ぐまでになっていた。
そしてある時こう思い至った。
大平がバットを振る時、あるいはボールを投げる時
いつか空気が見えるのではないかと。
――熱気に包まれた球場。
2本のファウルで2ストライク。追い込まれた?
否。
そのファウルはちょっと「確かめた」だけだった。
もちろん空気は見えなかった。
だからといってどうということはない。
彼はそれがいつか来ると信じていたから。
でも受け身ということじゃない。必要なら自分から確かめにいく。
どっちだって正しい筈だ。
次は見えるかもしれない。いつだって彼はそう思ってる。
ああ、もう3球目投げてたのか。いつ投げ始めたんだろ。
見てなかった。
今度はどの辺りを打とうか。縫い目に当ててみようか。
もう少し近づいてから決めるかな。まあとりあえず前に飛ばしてみよう。
帰りにミニクリームパン買わなきゃ。チョコじゃなくてカスタード。
ボールはまだあの辺りか。マウンドから5メートルくらい進んだかな。
うーんやっぱりもう一回ファウルにしようかな。
うんそうしよう。