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ベストを尽くすのはこっちの勝手、世界を変えようとしない
過去のこの記事と関連していると思うが、
最近ひんぱんに同じことが頭に浮かぶので、
当該記事を読み直してもいないまま追記のような感じで書く。
1月、きつかったのを覚えてる。
とっても苦しかった。
なんでだったかなと思いだしたのよ。
何を「手放し」たんだっけ?
何にそこまで抵抗してたんだっけ?って。
あのね、「死」を受け入れるって感じだったと思う。
頑張って頑張ってすべての手を尽くして、それでも叶わない絶望の可能性を受け入れる、って感じ。
絶対失いたくない、すごく大切な人を、守るために、失わないために、酷い目に遭わせないために、その人と自分自身のために、必死に、全力を尽くして可能性の思いつく限りを考えつくしてベストを尽くしたら、その最悪の可能性は免れるんじゃないかって。そう思いたかった。
そうじゃないとわかった。
私が、どれだけ頑張っても、ベストを尽くしても、命を賭けても、最悪の可能性は消えない。
不安は消えない。終わらない。永遠に。
頑張っても、思いつく限り最も悲惨な目に遭う可能性はある。
相手がそうなるのを見ているしかできない可能性もある。
それを受け入れた。
どうにもならないこと。
絶望すること。
ベストを尽くしたから絶望を回避できるということはないこと。
私の努力と、世界や運命というのは、完全に別に存在していて、個人の意志でコントロールすることはできない。
私が「善人」であろうとどれだけ意図しても、それが私にとって「最悪」の結果を回避させてくれるものではない。
意志と結果は物々交換ではない。
取引ではない。
別物なんだ。
一生懸命頑張るから評価してね、というのは、甘え。
どこまでいっても人間的発想。
「ベストを尽くす」の「ベスト」はあくまで私の定義によるものだし、私の勝手な意志。それと世界は関係ない。
努力によって世界を、運命を変えようとしないこと。
変えられると思わないこと。
ベストを尽くしたいのは私の勝手な意志。
私が後悔しないための選択。
自己満足。
100%の自己満足になっている必要がある。それが腑に落ちている必要が。
世界を変えようとしない。
変えられると思わない。
自分の意志や行動を、掛け金として捉えない。
懸けずに捨てる。
結果を期待しない。
私はベストを尽くす。
私はぐちゃぐちゃに死ぬ。
それが両方成立するのがこの世界で、ベストを尽くしたんだから、いい人だったんだから成功すべき、幸せになるべき、というのはただの勝手な思い込み。関係ない。
クソーって泣くのはいい。
卑小な人間として死ぬのはいい。
ただ、勝手に意志と結果を結びつけないこと。それが大事。
死を、絶望を、避けられない苦しみの可能性を、受け入れることが大事。
「受け入れたくない!!!」と叫ぶのはいい。
惨めにのたうちまわっていい。
ただ、諦める必要がある。
それが「手放し」。
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