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人肉バーガー屋さん

ジョー・メセニーというアメリカのシリアルキラーを紹介します。ジョーはジョセフのあだ名なので、ジョセフ・メセニーと表記されている場合もあります。検証された被害者の数は男性3人、女性4人のトータル7人ですが、実際は13人殺したのではないかと言われています。
デスラジオでは超有名な殺人鬼からマイナーな殺人鬼まで紹介しています。 ジョー・メセニーに関しては、本人 が描いたイラストと手紙が以前訪れたヴァニラ画廊のシリアルキラー展で展示されていたので興味を持ちました。

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ジョー・メセニーの手記とイラスト

ジョー・メセニー(Joe Metheny)は1955年に6人兄弟の内の1人として生まれました。両親は子供たちを養うために忙しく働きました。ジョーはのちに小さいころは孤児院を転々とさせられたと話していますが、それは事実ではなく、ジョーの両親はやむをえなく一時的に親戚に子供たちを預けることはあったものの、子供たちのためを思い一生懸命働く比較的良い両親でした。すなわち他のシリアルキラーの生い立ちによくあるような両親が育児放棄をしたとか、虐待をしたとか、目の前で客をとるのを子供に見せたというような不幸はなかったと言われています。
 ジョーは比較的普通に明るく育ち、高校を卒業したのち軍隊に入りました。そしてベトナムに派遣されたとジョーは言っていますが、そのような書類は見つからず、周りの人はドイツだった気がするとか、海外には一度も派遣されなかったはずと言い、意見が食い違っています。なぜこういう嘘をちょくちょく挟んでくるのかはよくわかりません。

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 この頃からジョーはコカインとヘロインの中毒者になっていき、家族との関りが薄れていきます。軍隊を卒業すると、もう行き場がありませんでした。サウスバルティモアで似たような中毒者らとホームレス同然の生活をしていたようです。一説によると彼は体重が204キロほどあったそうです。あまりにも大きかったので、逆にちっちゃいという意味のタイニーというあだ名で呼ばれるようになりました。そんなジョーは時給7ドルのパレットの製造工場とトラック運転手の仕事につきました。ドラッグの検査などをどうパスしたのか、その辺はゆるゆるな会社だったのかはわかりません。
 そこで、同じくドラッグ中毒者の彼女ができ、ふたりは結婚し息子をもうけました。

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タイニー(Tiny)というサインが右下に読める誕生日カード

1994年、39歳のジョーが長距離から帰ってくると、そこには妻と子供の姿はありませんでした。金目の物も全て持ち去られていました。
「あのクラックホアめ(Crack Whore)、全部持って行きやがったんだ」
ジョーは悪態をつきました。(クラックはコカインを結晶にした安物のコカインのことで、ホアというのは女性を軽蔑する言葉でビッチ、スラット、ホア、と行くにつれて悪口の度合いが進行していきます)
「クソ女が居なくなったのは結構なことだが、息子まで連れて行きやがったのは許せねぇ」と怒り狂いました。
 噂で元妻が新しい男と暮らしながら、街の反対側にある橋の下で売春婦をしていると聞きつけ、復讐してやろうと思いつきました。

 同年7月2日、その橋の下へ行くとホームレスの男ふたりが居ました。元妻とその彼氏を知らないかと聞くと、ふたりは今どこにいるかは知らないが、一緒にここでドラッグをやったことはあると答えました。
 そうかと言うと、ジョーはいったんその場を去ろうとしましたが、突然きびすを返してホームレス達の元へと戻り、ふたりに向かって斧を振り下ろしました。きっちりとふたりの息の根を止めると、再び歩き出し、今度は売春婦に出くわしました。元妻の居場所を尋ねるも、彼女は知らないと言ったので、ジョーは彼女に殴りかかり、そのまま怒りにまかせてレイプし、殺しました。ジョーはのちに語ります。
「その直後また別の売春婦がいたので、まったく同じことをしてやった。草むらに死体を投げ入れようとした時、川辺で釣りをしている年老いた黒人がこちらを見ていることに気づいたから、落ちていたパイプを拾い、そいつの頭をかちわった。マジで忙しい一日だったぜ」
ジョー・メセニーは約7時間の間に5人の人間を殺害したのでした。川で返り血を洗い流し、川に沈めた遺体の上には石を乗せ、浮き上がってこないように細工しました。結果3人の遺体は今も発見されていません。2人のホームレスの男性を殺害した罪でジョーは逮捕され、8年の刑を受けました、この時に使用された斧をのちに、ラリー・アモスという別の殺人犯がホームレスを殺すために使用したことが判明しました。同じ斧で違う人間が別のホームレス殺人を行っていたのです。とても治安が悪いことがわかります。

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 この殺人事件は結局証拠不十分ということになり、ジョーはたったの1年半で娑婆に戻って来てしまいます。ジョーは1年半の間、刑務所の中で、自分はなぜ殺人を犯したのかを考えました。最初は、息子を攫われた怒りから、クライムオブパッション(カッとなって衝動的にやる殺人)だったと考えました。しかし、思い起こせば思い起こすほど、殺人行為自体が楽しかったという感覚の方が勝るようになっていきました。


 刑務所から出たジョーは、元いたパレット製造の会社の社長のところへ行き、戻らせてほしいと願い出ました。ジョーの働きっぷりは真面目だったため、社長は務所帰りのジョーを再び迎え入れました。ジョーは人里離れたトレイラーで暮らしながら、売春婦を誘い入れては、殴り倒し、レイプし、殺すということを始めてしまいました。殺人鬼という本当の自分に目覚めてしまったのです。
 さらには、彼女たちの肉をナイフでそぎとると、冷凍庫にストックするようになりました。そして、ハンバーガーの販売トラックを開業したのです。彼はビーフやポークのミンチにこっそり人肉も一緒に混ぜました。ジョーは言います。
「人肉は豚肉に似ている、ミンチして混ぜれば誰一人と気づかない」客は気づかないどころか、ジョーのハンバーガーは美味いと大評判でした。

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 1966年12月15日、ジョーはコカインでハイになり、最後の被害者となる売春婦をトレイラーに呼び寄せると、いつものように襲い掛かり、殴りかかりました。しかし彼女はジョーの巨漢をすり抜けると必至の想いでその場から逃げ出しました。

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「逃げ出したってここは山の中。誰も女の悲鳴なんて聞こえやしない。俺は大声で笑いながら追いかけたさ。だけどあのビッチは猿みたいにパレットの山とフェンスを乗り越えて、大通りに辿り着いてしまったんだ。そこでトラック野郎が女を拾い、ガソリンスタンドから警察に通報しやがったのさ」
 難を逃れた彼女は警察に言いました。
「アイツは、わたしを殺すと脅してきたわ。お前も他の女のように殺して、肉をそいで、裏庭に埋めてやるって言ってきたのよ! 」
 ジョーはこの事件をきっかけに再び逮捕されましたが、反省の色を見せることは一切なく、この世で最も憎い元妻とその彼氏を殺せなかったことだけが悔しいと言いました。警察に被害者の遺族に謝罪はないのか?と聞かれると、「謝罪はしない、謝罪すれば嘘になるからだ」と答えています。
 ジョーは2000年に終身刑になり、2017年に刑務所の中で死亡が確認されました。CAT

【デスラジオ E131 2021年9月14日配信】



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