「勝つ」という蠱惑的な響きを求めて

前回の投稿後もSteamとYouTubeを眺めながら唸り続けている私である。

この週末も特に何をするわけでもなく、Supermarket Simulatorに勤しんでいた。楽しいよ、あのゲーム。作業だけど。

今回も、勝負事というやつに対して「ああでもないこうでもない」と駄文を書き連ねてみよう。昼休みのちょっとした気晴らしだ。

「勝利と敗北」というのは、確かに結果でしかない。
しかし、この2つの結果には、かなり明確な差がある……と個人的に思っている。
銀メダルに輝いたアスリートが満面の笑みを向けているのを見ると「すごいな」という感想が飛び出る。自分だったらものすごく悔しくて、発狂するかもしれない。かと言って、敗れて泣きじゃくっている姿を見ると、こっちも辛くなる。「泣くくらいならやらなきゃ良いのに……」と。

そして、多くの「勝負事を楽しめる人たち」は結果だけじゃなく、過程を楽しんでいるように思う。
勝つことが楽しいのではなく、勝つための努力が楽しい。
「努力は嫌いだ」という人も「でも、勝利するのが楽しいから頑張る」と言うのを見るし、これもまた、ある意味では「過程を楽しんでいる(嫌いだけど)」ということなのかもしれない。

勝負に敗れた人間が、相手を称える瞬間。悔し涙を精一杯こらえながら、手を差し伸べる瞬間。私はこの瞬間が好きだ。

この感情は「自分は絶対にそっち側には行けない」という、ある種の憧憬と嫉妬を含んでいる。
だって、悔しいじゃん。相手の手を払い除けそうになっちゃうかもしれないし。

そうやって悔し涙をこらえながら、次の勝利を目指すような生活。多くの人間が学生時代に部活や趣味で経験していくのだろう。それに、私は憧れ続けている。

ストリートファイター6に対して私が抱いているのは、その
「経験できなかった時間」
を取り戻せるような気がしているから、なのかもしれない。


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