「個人」の力を生かすには (2022/6/11)
記事の長さはおよそ1,800文字。3~4分程度で読めます。
記事のポイント
7日に閣議決定された「新しい資本主義」の実行計画は、スタートアップ育成が1つの柱。注目したいキーパーソンは南場智子氏。ディー・エヌ・エー(DeNA)の創業者で、スタートアップ振興をリードする経団連副会長。
DeNAは2019年デライト・ベンチャーズを設立。起業家候補を募り、ともに事業計画を練り会社の立ち上げを手伝う。候補者は用意された2〜3000の案から事業アイデアを選べる。5千万円まで予算が使え、人材紹介も受けられる。「客員起業家」の身分でデライトから給料をもらう仕組みもある。
「無駄な苦労はさせない」のがデライト式。これまで3件が会社として独立。南場氏はできる人材を囲い込んで自社だけを強くしようとは思わず、起業志望の社員がいれば進んで背中を押す。
起業の裾野を広げることは大事だが数を追うのは本筋ではない。成長株を見いだし、大成させる流れが必要。だから資金を投じ起業家を支えるベンチャーキャピタリストの質が重要。
米国では、投資の主体はキャピタリスト個人。ところが日本では、証券や銀行が70年代以降に設立した「VC会社」が主役。大手のジャフコが公開企業となり、組織的な管理をするVCが業界標準。
4年前、ジャフコは会社組織型からキャピタリスト個人が主軸の体制に転換すると表明したが、日本は世界的に異質なサラリーマンキャピタリストが圧倒的。
経験あるキャピタリスト不足を補うため政府は、海外VCへの公的資本の導入を盛り込んだ。経団連も世界有数のVC誘致を提言するが簡単ではない。
最前線で活躍するキャピタリストは自身の才覚を頼りに活動し、投資の成功で巨額の報酬を手にする専門職。仕組みが整わず、思い切った仕事ができるのか不透明な日本は魅力的ではない。そもそも日本への投資を条件とするようなひも付き資金は、自律を重んじるキャピタリストの思考に合わない。
組織に埋没せず、個人がのびのびと能力を発揮でき、成功でも失敗でも個人の挑戦がリスペクトされる。そういう社会の実現こそ、起業で栄える国にたどり着く王道だ。
スタートアップ育成は、個人の力を生かし切れない社会という問題に行き着くと南場氏はきっと認識している。これを解くのが南場物語の次なるテーマではないか。
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スタートアップ育成。
これは、3/13の投稿でもご紹介した経団連の提言『スタートアップ躍進ビジョン』がベースになっていそうですね。
3/13投稿:
スタートアップ育成(起業)はそれ自体がゴールではなく、個人がのびのびと能力を発揮して活力ある社会になるという最終ゴールを実現するための手段です。
最終ゴールが達成できるのであれば、起業という形態を取らなくてもいいわけです。
(個人の実感として、組織にいるより起業したほうが個人の能力をのびのびと発揮できますね。会社に所属していたときは、意識してなくても見えないバリアがあったみたいです)
記事の中で「スタートアップ育成は、個人の力を生かし切れない社会という問題に行き着く」とあります。まったく同意見です。
5/30の投稿で、企業の組織風土を理解するための四象限(マトリクス)をご紹介しました。
5/30投稿:
個人が主体のキャピタリストの世界でも、日本では「VC会社」が主役になっていることからもわかるように、組織優先の企業が多いのが実感です。
会社に限らず、個人を特定する戸籍でさえ”イエ”単位ですし、そのイエも町内会、隣組、五人組、隣邦班などと呼ばれる数戸のイエ単位でくくられることが多いですね。
さらに芥川賞受賞作家の平野啓一郎さんによれば、「個人」の概念の発想自体が、西洋文化に独特なものだそうです。(一神教と論理学)
個人を優先する伝統が弱く、「個人」の概念にすら馴染みがないとすると、どうすれば個人の力を生かせる環境が実現できるのか? 最近のわたしのテーマです。
追伸
先ほどご紹介した平野啓一郎著『私とは何か「個人」から「分人」へ』では、
すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。
たったひとつの「本当の自分」など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」なのである。
として〈分人主義〉を提唱されています。
あらたな気づきをもらえました。
本投稿は日経新聞に記載された記事を読んで、
私が感じたこと、考えたことについて記載しています。
みなさんの考えるヒントになれば嬉しいです。
「マガジン」にも保存しています。
「学びをよろこびに、人生にリーダシップを」
ディアログ 小川