nicolasの本に寄せて
愛するわたしのサードプレイス(初めて言った)、※ 三茶 nicolas店主が小説を出した。
※nicolas(ニコラ)はカフェです。
その知らせを出版前に知らせてくれて、紹介文を書いてほしい。120文字くらいで(確かそれくらい)と言われておれ…
年に片手で数えるくらいしか“本”らしい本を読まないよ…て、それもわかってるそして、※※いま最も忙しいと察するそんな時である事もわかってる※※と言いつつ、コピーされた束の紙を手に持ってはっきりと、依頼をしに来たのは、いまから一年ほど前だったか…。
読んだ。書いた。
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ややこしくて愛らしいひとびとの淡々とした会話のやりとり、日常。 文脈は平野かと思われたが、突如として現れる切り立った山のように、料理のシーンが描かれる。 物語のひとびとが、急に色づいて躍動する。 これは未来でなく濃い目にドリップされたニコラの“イマ”だ。
廣岡好和(マルショウアリク店主)
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自分でも感心するテキストが、書けた。
おれが書いたのか…。
そう。おれが書いてない。いや、AIじゃない。
優秀な編集者の手腕で化けたのだ。
大半の人は知り得ない、“編集”という世にも見事な魔法使いの世界を以下に垣間見せようじゃないか!
おれ「読んだのですが、感想を120文字にまとめられません。本の紹介を知らない人に伝える紹介できません。長くなる」
編集者『どうぞ。長文でどうぞ!私読んでみます!まとめてみます』
お「んじゃいきまっす!」
編『ちゃす(言ってない)!』
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あの店のあの夫婦からしばらく離れられずにいた読みはじめ。あれ?恋文(ラブソング。曲抜き)かこれ、長めの。ちょっと、どう読んだらいいのよ〜と恥ずかしくもあった(それはまもなく蒸発する)。近未来へ自らとニコラとその周辺をはめ込んでいくかもしれない暗示にもとれる、曽根さん(ニコラ店主)が日頃ニコラで展開する、社会との隔たりと気づき云々や、ほぼ哲学的解釈な会話が文字となって並んでいる。口語とは異なり、本だなぁ。本を読む人の本だなぁ、と感じた。でもSONE節だ…。とても踊りづらい音なき音頭だ。おもしろい。どうせダンス音痴だからちょうどいい。のってみよう。
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※主眼につき、この本の解説ではない。
登場人物のすべてニコラのひとで、淡い消えそうで消えない灯のようなひとびと。そのくせ、蒼くて熱い。やさしくされたいけど、近づき過ぎると火傷させてしまい傷つく。ややこしくて愛らしい。
ニコラのひとびと(主にライトサイド。カウンター側)。
物語を虚像として捉えられない(ニコラ知る故に)。
淡々とした会話のやりとりに現在と現実が折り重なり、読み手の主観を抑えられない(だから読むの遅い)。文脈は平野かと思われたが、突如として現れる切り立った山のように、料理のシーンが描かれる。物語のひとびとが、急に色づいて躍動する。
日常。
死生観は度々話題に置かれるが、ひとつとして等しくなく、終わりについては特に、悲しさ切なさを多く含む。
氏の原風景である長野らしきところ(時折故郷から届く桃の話、親類の話や死別が語られた事を覚えている)と、ニコラらしき場面で展開するすべてノンフィクションで、近未来でなく濃い目にドリップされた“イマ”だ。
文中に、死を間近にした者のわがままで季節ハズレのたべものを手配するシーンがあったと思う。
20数年前に付き合った彼女の口から同様の話を打ち明けられた事がある(後に、『こんな夜更けにバナナかよ』みたいなタイトルを聞いて、その映画(おそらく本が元)は観ていないが、それを見た時にも思い出された)。
彼女の意を決した吐露。当時若すぎて受け取めきれなくて、まともな返答ができたと記憶しておらず、至らなさだけが残っている。当時から何度も反芻しているのだと思うが、後に人がこの世から去る様々に触れて今に至る。
歳をとるというのは、そういう事かと思わされるほど、“なるほど”は増える。
人生は長いな〜…と思う時々と、生きてて当たり前。つづく前提。としている大半で一生はできている。
その起伏は、ひとそれぞれあり油断していた平坦な道の凹凸や歪み、突如として現れた丘にしては高い山のようなものを超えなくてはならないシーンがでてきたりして途方に暮れたりヘトヘトにもなる(周り道も引き返すも決まりはないが)。
死に向かう事前提の我々は、一生を生き抜くペースを知らずに、日々を消費しているようだ。
膨大な悩みと退屈に好奇心が隙間を埋めて生を全うしている最中だきっと、ずっと。
迸る“イマ”が注がれようとしたカップに、丁寧にドリップした夢中がある。
気を抜いて溢れたとしても、ソーサーが受け止めてくれて、テーブルを汚さずに済んだ。
そんなシーンに決まって、その至らなさを嘲るように笑いながら、それでも敬意の念をもち寄り添えるだれかがいたなら、澱み沈んだ日々にも軽やかな音色を与えてくれるだろう。
その音をわたしはまだ知らない。
いや、ときどき聴く。しばしば聴く。
そのシーンが訪れやすい場所を知っている。
どこでだろう…
『…続きを読む』
押しても”つづき”は読めない。
その話のつづきは、ニコラでしよう
おめでとう 曽根さん
おめでとう ニコラのひとたち