見出し画像

2020年幕開け。第一子爆誕。

2020年1月6日、第一子を出産しました。

妊娠が発覚し、出産前までずーーーーっと不安でしかなかった心はずっとザワザワしていて身体の調子も良くない。自分の身体じゃないみたい。

8月に入院し、里帰り後もまた子宮筋腫が痛み出す。幸い薬だけで入院は間逃れたけど、お腹も苦しい。ご飯も逆流してくる。動悸。辛い。不安…。毎日、鬱々。相変わらず1ミリもハッピーじゃなかったのに、はじめての出産は一生忘れない宝物の1日になったのでnoteに書き留めておこうと思う。

am3:00 おしるし am4:00陣痛

1週間前の検診で、すでに子宮口が2cm開いてる。と言われてドキドキ。毎日産まれちゃう、産まれちゃう、言いながら年末・正月を過ごし、予定日から4日前の朝ついにおしるしが!おお〜〜。本当にきた・・。と思い布団にソワソワ戻る。なんとなーくお腹に違和感があったけど、4:00頃から10分おきくらいに生理痛のような痛みが。お!これが陣痛かもしれない。とりあえず病院に電話するが、まだ我慢できる痛みだったので予定していた検診の時間まで待つことに。

am11:00 検診 pm1:00 入院

この時点で結構歩くこともシンドイ感じに。お腹がズンズン痛む。1分耐えてまた10分後にズンズン。これ陣痛だよね?陣痛だよね?めっちゃ痛いのに、ノンストレステスト(NST)をするため結構な距離を歩かされる。エコーも終え、内診をすると子宮口が4cmに。いや、これ産まれるよね・・!?ね・・!?先生の口から「まだ本陣痛じゃないかも。」というパワーワードが飛び出す。どうかしている。これで本陣痛じゃないならこれからわたしは一体どうなってしまうの。

pm14:00 LDR室へ

痛くない時間の約9分間で入院着・産褥ショーツに着替え、お昼ご飯におにぎりを2つ食べる。これ本陣痛じゃないの〜。なんなの〜。なんて呑気にしていたら、LDR室(陣痛・分娩・回復までを同じ部屋)に移動することに。急に緊張感に包まれる。

pm15:00 イキミ逃しが始まる

LDRに入ってからは、もう7分感覚くらいの陣痛に。この辺りからもう生理痛なんて痛みではなくなる。事前に陣痛の痛みってどんなだろうと思い、ネットで検索魔になり「トラックに轢かれるような」とか、「下痢のような痛み」とか…。どれもピンとこなかったので、経験したら私なりに陣痛を文章で表現しよう!と思っていたので下記に記しておきます。

骨盤の中(?)あたりがグワァングワァンして膨れがり今にも破裂しそうで、お尻の穴からも一緒に巨大な生物が飛び出しそうになるけど、それを飛び出させたら、骨盤から爆発してしまうので、飛び出させないように力まないで耐え続ける。例える痛みの表現は、ない。

陣痛は必ず1分間という希望の一言を事前に調べておいたので、ひたすら逃しまくり、痛みを和らげる方法として使われる「テニスボール」を使ってみることに。上記に記した一緒に巨大な生物が飛び出しそうになるタイミングで母に思いっきり尻の穴にテニスボールを押し当ててもらう。これは・・!!!いいぞ・・!!!

1分間テニスボールを押し付け、また7分後に1分間テニスボールを押し付け続ける・・。お母さん、本当にありがとう。腰をさすってくれる母。お母さん、こんなに痛い痛いでわたしを産んでくれたんだ。痛いよう。痛いよう。

お母さん、私を産んでくれてありがとう・・・

今日中には産まれるかもね。という言葉をもらうが、あと何時間だよ〜〜〜。と気持ちが弱る。

pm17:00  テニスボール後継者 主人到着

約2時間半かけて主人が病院に到着。もう痛すぎて顔も見れないが、疲労困憊していた母に変わってテニスボールをしてもらう。まだ痛くない時間も確保できていたので少し今までのことを喋ったりする余裕はあった。父と合流するため、母は一時帰宅。18:00頃、病院から夜ご飯が出たけど全然食べられるような感じじゃない。汗だくになりながら押してくれる主人に、水分を与えたかったけど「このテニスボールがないと骨盤が爆発」と思っていたから、ただ母の帰りを待ち二人で2時間ほど頑張る。どんどん体力が消耗していくのがわかる。

pm19:00 母と父到着

夕方頃は、このあたりで産まれるかなぁ〜!なんて思ってたのに、子宮口がまだ7cm。部屋にいる全員が疲れている。病院から出た夜ご飯は主人に食べてもらい、私は父が買って来てくれた、あんパンを食べる。

あんパンうめぇ・・!!!!!!!!!!!!

程よい甘みと食感が、私にエネルギーを与えてくれパクパク完食。少し精神が復活する。主人もご飯と水分で頑張ってくれる。

陣痛の間隔が狭くなり、1分間の痛みも激しくなり、もうイキみたい!踏ん張りたい!この生物出ちゃう!無理!!!っていうのが続く。出ちゃう!ってなった時、自然にウワァ!とか声が出てしまう。これは、ウンチとかするときに声が出てしまう人ならわかるかもしれない。それの爆裂に痛い状態だと思って欲しい。

pm 20:00 破水

陣痛がMAXになり、ウワァ!ウワァ!と叫びまくる。もうテニスボールも効かなくなっていた。むしろ邪魔だからやめてくれ!!なんかでる!!ウワァ!!

パァン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

大きいパン!という音で、破水したとすぐわかり、ナースコール。すぐに先生たちが駆けつけ、ようやっと出産の準備にバタバタと取り掛かり、立会いしてもらう主人のみ部屋に残ってもらう。

やっと、産むんだ・・!ウワァ・・!

pm 21:00 全然出てこない

陣痛の間隔が、1分痛い・1分休憩。1番痛いときに踏ん張る。顔で踏ん張るのではなく腹から踏ん張って。声は出さないで。と先生に言われて、その通りにやってみる。私の骨盤あたりにいる巨大生物がグワングワン出てこようとして爆発する〜〜〜〜!!!!ってときに、思いっきり踏ん張る。なのに、まだ頭少し出てるくらい。何度も繰り返すのに、全然出てこない。あんなにイキみたかったのに、イキんでもイキんでも出ない。もう息が出来ない。疲れた。無理。繰り返し、破水から出産のこの2時間がピークで辛かった。

pm 22:00 会陰を切る 出産

フハフハ息を荒げていると、切るよ〜と会陰を切られる。お!ついにか!ついに切るのか!終わるってことか!?と希望に満ち溢れ、そりゃ〜!!とイキんだら・・

ドゥルドゥルドゥルン!!!と一気にお股から何か出て来たと同時に、赤ちゃんの鳴き声が。

約18時間かけて、22:19に3036gの男の子が無事、誕生しました。

pm 22:30 会陰を縫う

産まれてすぐに赤ちゃんと主人は外へ。外では家族みんながきゃっきゃ喜んでいる。みんな嬉しそう。私も嬉しい。みんな無事なんだ・・。終わったんだ・・。と、呼吸を落ち着かせていると、私の処置がどんどん進められる。お腹を押されドゥルンと胎盤も出す。残りの血を出し切るためお腹を押されまくる。お股が裂けまくっているらしく、綺麗に縫ってもらう。これが知ってる痛みでまぁ痛い。麻酔を打ってもらってるけど、痛い痛い言いながら縫ってもらいました。でも、この痛みさえ記憶が薄れるくらい出産がヤバすぎる痛みだったと言える。

pm23:00 赤ちゃんとご対面

ようやっと、私の処置が終わったところで赤ちゃんとご対面。

可愛い!可愛い!可愛い!と連呼し続ける。なんだこの感情。

妊娠中、全くハッピーじゃなかった私。お腹にいる時だって、声をかけたりなんてしなかった。

でも、お腹から出て来てくれた我が子はもう、ほんっと〜〜〜〜〜にイキナリ可愛くって、幸せで、ふわあああああ幸せかよおおおおおおと30年生きてきて初めての多幸感を味わいました。

可愛い!可愛い!しか喋らなくなった私を見て両親が若干引いてた。

am0:00 両親帰宅 am:1:00 主人帰宅

LDRで2時間くらい安静に。主人とヤバかったよね〜。と、すでに過去形で思い出話をしながら、幸せに包まれる。1:00頃入院ベッドに戻り主人もクタクタな中また二時間半かけて我が家へ帰って行った。使ったテニスボールの写真を撮ってて笑う。

急に夜中、一人になる。とりあえず、腹ペコだったからパンを二つ食べた。ベッドから起き上がることはかなりシンドイ。飲み物も頑張って飲む。これ一人で生きていけるんだろうか…。みんなそばにいて…。と、甘えモードが抜けない。産んでしまえば、出産が夢のようで本当に産んだのかな?嘘みたい!頑張ったなぁ。と自分を褒めまくり安堵とアドレリンで眠れず、あっという間に朝になる。

余韻に浸れるのも、つかの間。怒涛の5日間がすぐに始まる。

出産の多幸感と安堵感をホクホク味わえたのなんかこの夜だけで、次の日からボロッボロの身体のまま休ませてもらえないまま育児が始まる。例えて言うならば、交通事故にあってそのままの体で、授乳練習を1時間程3時間毎に行う。

この5日間は、体感1ヶ月並みの母乳スパルタ期間だった。また母乳についてのnoteを書こうと思うのでこの5日間のお話はまた次回…。

現在、生後15日目。まだ、15日しか経ってないの…?ってくらい、1日が長い。

画像1



いいなと思ったら応援しよう!