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刑罰代償説を信じる人々は、キリスト教進歩主義

刑罰代償説を信じる人々は、キリスト教進歩主義です。これは、ちまたで言われている内容と逆のことを言っているように聞こえると思います。それも、そのはずです。ちまたで言っていることの逆だからですw

では、ちまたとはどこでしょうか?
ちまたとは中世以降の西側のキリスト教です。彼らは刑罰代償説を信じないキリスト教徒を「進歩主義」であると言います。別の言い方をすると、彼らは自分達こそ「正統」だと独善的に述べているのです。

このブログでは何度も言っていますが、言葉遊びをしたいわけではありません。とても単純に「歴史的にそれらの教理がいつ定説となったか?」ということを書いているだけです。刑罰代償説を信じる人々は「自分達こそ原点、自分達こそ正統」という主張を出発点として物事を考えています。まるで陰謀論者です。自分達の視点でしか、物事を考えられない人々かもしれません。

以前にもまとめた通り、十字架を解釈する贖罪論がいくつかあることは以前に書きました。刑罰代償説が中世以降に定説になってしまったことは、ちゃんとした歴史研究です。それを覆すのならばちゃんとした歴史研究を出すべきだと思います。

聖書の読み方というのは多岐にわたります。時代時代によって異なる読み方や科学を用いて、「自分達こそは聖書的」と神学者たちは述べてきました。兎にも角にも、キリスト教が素晴らしいと思えるところは、そう言った神学書や論法が今でも保存されている経緯になります。そして間違いを繰り返してはそのたびに「悔い改め」てきたのです。

さて、本題に戻ります。
刑罰代償説は古代のキリスト教において主流でもないし、無かったかもしれません。ここでは深く書きませんが、各教団・教派において重要視している神学は異なります。もしくは、保存している神学が異なると言ったほうがいいかもしれません。例えば東方教会・正教会は2世紀の神学もしっかりと学び、その伝統を継承しています。カトリックは5世紀以降の神学を重要視して、それをしっかりと保存しています。そして、プロテスタントは16世紀以降の神学を信じています。これで大体どの流れを学べば、さまざまな贖罪論や十字架論がいつ頃発展し、保持されていたかわかるはずです。

もうお分かりかと思いますが、古代の神学を知りたければ正教会が継承している伝統を見れば済む話です。そして、正教会では刑罰代償説はあまり受け入れられていません。

これで話は終わりのはずです。皆さんが、人を尊敬もせず話を拗らせてくるような方に騙されませんように

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