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自分の器

「30代になったら何をするかではなく、何をしないかだ。」
「30代になって誰も敵がいないやつは信用できない。」

といったコメントを見るたびに、ああ自分はだめだな、と思ってしまう。
昔から誰かに嫌われること、対立することが苦手だった。
どうしても相手に合わせてしまうことが多い。

いいやつだよね、といってくれる人も多いけれど、上のような発言を聞くたびに、俺は「どうでもいいやつ」、「都合のいいやつ」になってしまっていないだろうかという漠然とした不安に駆られる。

思えば、うちの母親も断るのが苦手な人だ。
うちの家族はずっと団地暮らしだったが、面倒な団地の自治会長を押しつけられたり、学校でもPTAがらみの面倒な仕事を任されていたように、今になって思う。たぶん本人は誰かに頼られることは嫌いじゃないのだと思う。基本的には社交的で誰とも話せるのでこうした仕事は向いているようにも見える。しかし、人に嫌われることを極端に恐れるので、決めるのがとにかく苦手だ。対立することを怖がると相手の言葉ばかり聞いてしまい判断がぶれる。結果的に判断が遅くなり、一貫性に欠けることになり、リーダーとしての信頼は損なわれる

こうした指摘は俺自身にもそのまま当てはまる。
冒頭で引いたコメントが耳に痛いのは、まさにこうした自分の弱いところを指摘した内容だからだ。

いま仕事で日独混成チームによる混沌としたプロジェクトに日夜関わりながら思うのは、どこの国でもリーダーシップとは決めること、ということだ。不確定要素は多いなかでは誰もが決めるのをためらう。でも何かを決めない限りは組織は空中をふらふらと浮遊する風船のように当てもなくさまようばかりになってしまう。だから、まずは方向を決め進む。そして適宜軌道修正をする、という方法をとらざるを得ない。

このときに、誰もが自分勝手なことをいう。その一つ一つを聞いていては話がまとまらない。だからリーダーは意見は聞きながらも、誰かの意見をある程度切り捨てることになる。納得のいかない人間も出てくる。誰かと対立も生じる。

果たして俺はこの重み耐えられるだろうか、といつも考えてしまう。

誰かに嫌われているのではないか、嫌な思いをさせてしまったんではないか、と思うと心臓がバクバクしてしまう。冷や汗が出る。誰かに文句を言われると夜もそのことを思って寝付きが悪い。

要は自分は気が小さい。
人と正面から向き合うことを恐れてしまう。
その一方で、心の中ではそういう濃厚で激しい人間関係に憧れている。

でも、自分の気持ちや心は簡単に傷ついてしまう。
誰かに悪意を持って口撃されたらあっけなく壊れてしまいそうである。 これは慣れの問題か、考え方の問題なのか。それとも生まれ持ったものなのか。

自分の器を確かめる旅は続く。

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