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「全部おっさんのせいだ」

この投稿を読んで私ははっとさせられた。

ついこの間、社内の若手同士で「働かないおっさん」という話題で盛り上がったばかりだったので、この望月さんの記事には多くを考えされられた。
 
最近「おっさん」というフレーズを本*1やブログ*2で目や耳にしていたこともあり、私もつい無自覚にこのことばを使ってしまっていた。
 
しかしわたしはここで改めて言葉でレッテルを張るという行為は便利であるのと同時に恐いものだということを認識しなければならない。
 
仮にその主張の内容が正しいとしても、レッテル張ることは組織に要らぬ分断を招きグループ間の対立を生むだけの結果になりかねない。

確かにたいして働かない中年の男性がいるのは事実である。しかし「おじさん」というレッテルを使ってある集団を切りだすことで、私たちの組織が抱える問題は解決するだろうか。

はたしてその問題はある特定の年代や性別の集団だけに起因しているのだろうか。

もし「働かないおじさん」というレッテルによって「私たち若手は大丈夫」という変な安心感を得てしまっているとしたら、それこそ本来取り組むべき課題を取りこぼすことになりかねない。
 

A Problem Well-stated is Half-solved.
 
言葉というのはとても強力なものだ。「問題を言葉にすることが出来たらそれは解けたも同然である」という言葉があるくらいに。

だからこそ私たちは慎重に言葉を選ばなければならない。
 

メディアビジネスが産業として生き残っていくためにコミュニティを志向する。支払いが良くてコミュニティの価値に従順な継続顧客の獲得を志向する。メディアが互いにあったことのない人たちの間に「社会」を成立させ対話を促す統合な装置ではなく、自分と似た人たちを集めていくつもの「サブ社会」を作り出し対立させる内閉的な装置へと変わっていく。

『NewsPicksの「さよならおっさん」について』より抜粋


 そうだ、「言葉=メディア」はわたしたちの対話を可能し、社会の成立させ統合させるものなのだ。
さまざまな属性を持つ私たちが互いに対話し、ある目的に向かって行動するためにこそ言葉はあるべきなのだ。
 

*1
今、どこの会社でも、圧倒的にGDPを下げているのはホワイトカラーのおじさんたちです。彼らのレーゾンデートルは文句を言うだけ。暇なので無駄な社内政治や抵抗するだけに時間を使っています。こういう人たちは、経済と人口が成長を続けていた昭和の時代には少なかったのですが、人口の逆転問題によって生まれてきた不思議な人たちです。
 
~中略~
 
ホワイトカラーおじさんたちも、自分たちに向いた仕事を与えられたらきっと輝き始めるでしょうし、成長しているベンチャー企業で働けるのはけっこう楽しいはずです。成長に自分も関与しているんだ、とどや顔で言えますから。 要は、ホワイトカラーおじさんは、大企業での活用が難しいだけで、世の中全体では生かしようがあるのです。大企業は、ホワイトカラーおじさんが気持ちよく外に出ていけるように、オープンイノベーション事業部、特任社員といったかっこいい部署名や肩書をつけて、気持ちよく送り出してあげればいいのです。
 
落合陽一『日本再興戦略(NewsPicks Book)』より抜粋

*2
オッサンは、年齢でも、性別でも、ありません。「人生の一時期」をさす言葉でもありません。
自分を変化させたくない、当事者意識を放棄する、自分の存在を問題系から巧妙に切り離そうとする「思考」のことを、わたしたちは「オッサン」というのです。
 
自戒をこめて申し上げます。
   
あなたのまわりには「オッサン」はいませんか?
あなたは「オッサン」になっていませんか?
  
自分を「問題系」の「外」におきたくなったら、注意ですぞ(!)
 
そして人生はつづく
 
中原淳研究室ブログ 『オッサンとは、自分のことを「問題の外側に置く思考法」である!?』 2018.6.27 06:13/ Jun より抜粋
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/9100

落合さんの言っていることも、中原先生が言っていることも説得力があり個人的にも頷けるところは多い。だからこそ一度冷静になって言葉の使い方を考えてみる必要がある、と今回の記事を読んで思ったのでした。

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