言葉の意味にこだわる
小説家でもなく、哲学者でもなく、言語学者でも、俳人でもないサラリーマンのわたしだが、言葉の意味には注意を払っていきたい。
仕事中になんだか話が噛み合わないなというとき、実は相手と自分で同じ言葉についての理解がズレていたなんてことがある。
たとえば「急ぎでこの資料作っておいて」の「急ぎ」はあなたにとっての「30分以内」だとしても、相手にとっては「午前中まで」くらいに思ってるかもしれない。
あるいは「新規事業」という言葉ひとつをとっても、人によってとらえ方はさまざまだ。
会社に既にある製品やサービスで新しい顧客や市場を開拓することなのか、既存の顧客や市場に新しい製品やサービスを投入するのか。
自社にとって新しい製品を、自社にとっては初めての顧客や市場に展開するのか。
あるいは、世の中にまだ存在しない製品やサービスを生み出し、まだ目に見えていない顧客や市場を作り出すのか。
私はどんなことを頭に浮かべながら「新規事業」という言葉を使っているのか。
相手はどのレベルの「新規事業」について話をしているのだろうか。
新規事業ってのはとにかく新しい事業のことだよ、というだけでは話が深まっていかない。なぜならそれぞれの「新規事業」で必要となる資金や人材、時間、難易度が全く違うだろう。
抽象的な言葉ほどお互いの認識がズレる余地は広くなる。
勇気には百通りの行動があり、愛には百万通りの伝え方がある。
すべてのことはメッセージ。
でも、そのメッセージをお互いが誤解なく交換するためには、私たちは注意深く、そして忍耐強く言葉を交わすことが求められる。
学校では学年におうじて覚えるべき知識はパッケージ化されている。だから、不用意な質問は、自分の不勉強をさらすことになりかねないので避けられがちだ。
でも社会人になって、年齢も違えばバックグラウンドも違う人たちと一緒に仕事をするようになって、疑問に思ったことは恥ずかしがらず声に出して質問しようと思うようになった。
そんなことも知らないのか?
なんて思う人は少ない。
むしろ、知ったかぶりや分かったつもりの方が何倍も危険だし、避けるべきものだ。
自戒をこめて。