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友達と幸せ
以前も書いたのだが、私は周りの人にとても恵まれている!高校に入ってたくさんの友達ができた。
私の周りにいる友達の話と、ふと幸せだなあと思う瞬間の話がしたい。言ってしまえばただの自慢。少し長くなってしまった。
一番仲が良い。だけど友達ではない
昔から特段友達が多いというわけではない。
小中からの友達で未だに連絡を取り合っている人も片手程度で(高校に入るまでSNSをしていなかったというのもある)電車で会うと少し気まずいといういわゆる浅い仲の人の方が多い。だけどそれで不自由を感じたことはない。なぜなら小一から親しい友人がいるから!
小学校のときはクラス違う年の方が多かったので、親しいは親しいのだが私も彼女もそれぞれ別の友達とずっと一緒にいてたまに遊んだり誕生日をお祝いするくらいだった。
中学に入って、部活が一緒になった。部活で週5は会ってずっと話してるし、中2中3のときは同じクラスになってもうずっと一緒にいる!授業間の10分休み、移動教室、昼休み、部活、帰りも一緒。修学旅行の班も一緒だった。帰りは少し遠回りをして、別れるところで立ち話。よくそんなに話すことがあるなってくらい話す。
そしてなぜか高校も一緒!また部活も一緒!
今の部活は週2なので最低週2は会って一緒に帰ってまた長々と立ち話をする。今年は文理選択によって隣のクラスになったので普通に廊下であったら話す。本当によくそんなに話すことがあるな。
第一志望大学も一緒だし。
小中と友達が多い方ではないけど、この人がいるから別にいいやと思う。それに最近思ったのだが、彼女は友達というよりシンメという概念の方がしっくりくる。あまりにも正反対すぎるのだ。彼女は几帳面、私は大雑把。彼女は計画性があって時間に余裕がある、私は計画性がなくていつもぎりぎり。彼女は早寝早起き、私は遅寝遅起き。なにもかも正反対すぎてむしろよく仲良くできてるなというくらいである。
適当に言うと、絶対気が合わないはずなのになぜかいつも隣にいてずっと話してる人なのだ。仲良いねと言われると少し首をかしげる。小中一緒と説明するには軽すぎる。
なんだかわからないのだが、「TOKYO MER」という作品の喜多見チーフと音羽先生の関係性をみたときに、私たちはシンメなのかもしれないと思った。
シンメという概念は恐らくアイドルのオタク界隈でしか使われておらず、いまいち理解ができていなかったのだがMERをみたときに唐突に理解した。
これが…シンメ……!!!!良……………!!!!
私の解釈は"なにもかも正反対だけど、誰よりも信頼している背中合わせのふたり"。これが精一杯の言語化。あんまりしっくりこなくて悔しい。
一番仲が良いけど友達ではない、シンメのような彼女とこれからもだらだら長話しながら歳を重ねていきたいものですね〜
高校のお友達
これでつらつらと書いたのだが、私はとにかく高校の友達が好きだ。良い人たちばかりで、みんな優しくて、毎日とっても楽しい。ほんとうに大好きな人たちばかり。
そのなかでも、私が一番幸せを願っている人がいる。部活が一緒で、今年同じクラスになった友達である。とにかく世界で一番幸せになってほしい。
背景は違うけれど同じ苦手なことがあって、これまでこの気持ちを共有できる人がいなかったので嬉しかった。彼女の背景は(私が重く受け止めているだけなのかもしれないが)私が想像するに足らない重さだろうなと思う。だから何度も言うが、世界で一番幸せになってほしいのだ。
私は登下校に電車を乗り換える。乗り換えの駅から駅までは歩いて数分。
彼女とはいつも一緒に帰っている。彼女とは乗り換えで降りる駅が違うので、一駅でじゃあねなのだが、じゃあね~と別れたあと歩いて乗り換えて電車に乗っているときに幸せだなと思う瞬間がある。
これは彼女との会話だけでなくその日あった出来事全てに関することなのだが、私は幸せなことに毎日なにかしらで笑っている。一日を振り返って、これ面白かった〜ということが必ずひとつはある。
そんなことを、ひとりになったときに思い出してふふっと笑みをこぼす瞬間に幸せだなと思う。
もともとツボは浅いし長いし思い出し笑いしちゃう(なんとかしたい)人なので、出来事を思い出すだけでいつまでも新鮮に笑える。
笑った出来事を思い出して、あー面白かったと思う瞬間に私は幸せだ〜周りの人に恵まれている〜〜と思う。みんないつもありがとう。
まとめ方が分からなくなってしまったのだが、友達のことだけでこんなに長々と文章が書けてしまうくらい私は周りの人たちが大好きだということが言いたかった!
時間があっという間にすぎていく。気持ちはまだ8月なのにどうやらもう1月も終わりかけのようだ。
大人になっても今すごしている時間は大切な宝物で、逆に手放したくなるほど輝くものになるんだろうな。