「Heavy Lies The Head」の感想(と解釈、それから少し「エリザベート」のこと)
「へえ?」と、小さく声が出た。
次のENcounterの組み合わせがザリくんと我が君だと発表された時、私にとっては大層意外だった。
ENcounter自体が意外な組み合わせが多い企画で、例えばロゼミ様と浮奇ちゃん、クロードとあるばにゃんも、意外なデュエットだったけれども、ザリくんと我が君、それは今年一番、意外で想像もしていなかった2人だった。
個人ではなく、国という大きな単位に目を向ければイギリスとフランスはドーヴァー海峡を挟んだ2国、そしてユーロスターが通っているので陸の便で行き来が出来る国同士。
今でこそ、国家間での争いは起きていないけれど過去には英仏百年戦争と呼ばれる程の期間、長く戦っていた国。
我が君とザリくん個人間では、そんな歴史だと地理だ、ましてや政治外交だのを問わず、「NIJISANJI EN」というコミュニティに所属する同僚という関係性であって、恐らくは目に見えている接点以上の親密さがあるのだろうけれども、「この2人なのは、敢えて?」なんて思ったりもした。
私はMVを見る時、大概コメントを見ない。何だったら配信を見る時も、チャット欄は見ない。言葉に、特に感情が影響され易いからだ。
体系立った文章、いわゆる出版物や査読された論文を読むことで思考の偏向を整えたり新たな視点を得たり、と「敢えて影響されるために読む」ものではなく、瞬発的に発せらることの多い何気ない言葉(それが悪いというわけでは全くない)達には不意打ちされ易く、時には気持ちの浮き沈みさえももたらされる。
なので、今回も公開されたMVはコメント欄を参照することなく、見た。
つまり私のひとりよがりの感想と解釈になっていることを、まずは事前に謝罪しておきたい。
最初にMVというよりも、楽曲そのものの感想になるけれどもザリくんの甘くて、ふわりとしたレースみたいに優しい、でも色っぽい声と、我が君の弦楽器の一番太い弦を海底で弾いているみたいな、それでいて蜂蜜みたいなこっくりした声とが、随分と合っているということに、びっくりした。
それぞれの歌声は聴いたことがあって、当たり前にそれぞれの魅力があって、唯一無二の声だけれども何せこの2人は一緒に歌う機会、それも2人だけで、となると無かったはずなので私は、こんなハーモニーになることに驚いた。
本当に、この楽曲制作に関わった人達は凄いと思う。
色合いの違う声をこんな風に鮮やかに織りなせることが、凄い。
声の響き方が全く違うので、降ってくるような声のザリくんの声も、逆にふつふつと下から湧いてくるような我が君の声も、よく聞こえ相殺せずに、でも邪魔にもならずに調和するんだな、と感動してしまったくらいだ。
そして、MVについて。そもそもこの曲のタイトル、基本的には英語は英語のままで理解をするけれども、MVを通して見て、このタイトルを日本語に訳すのであれば、「戴く重み」だろうか、と考えた。
上述の通り、長きに渡り戦争をしてきた2国に在るふたりはMVで、まるで「王」のようでもあり、そして「国そのもの」のようにさえ見えた。
常に不敵さが宿る表情と唇に色々なニュアンスの笑みを湛える我が君。
どこか厳しい表情で、時に涙も見せるザリ君。
それは、決して大きい国では無いにも関わらず「太陽の沈まぬ国」とさえ言われたスペインの無敵艦隊さえもアルマダの海戦で破った、クイーンを擁する海賊達の国、大英帝国として名を馳せたイギリス、
1789年、「自由・平等・愛」の旗印の下で蜂起し正に先進的で、アメリカの独立にまで影響を与えるような「革命」で以て、自ら王政を廃したフランス、その2国が常に抱えてきた「重み」を反映しているような、そんな気がして。
国という視点から離れてライバーとして、そして彼等のloreから見出せる「重み」もあるかもしれない。
領主として、鬼として、そしてNIJISANJI ENの中でもトップクラスの数のファンダムを抱える我が君。
最愛の妹を失って、自身さえも犠牲にして人を救おうとする過去を持ち、にじさんじのヒーローズの一員として期待されるザリくん。
それぞれの「重み」を抱えながらも、なお、欲するものを手にしようとする強さが、この曲にこもっている風に思えた。
我が君については、あまり積極的に歌うような印象がなくて、こうして今沢山歌う機会に恵まれて、また彼自身が歌うことを本当に楽しんでいるような気がして、嬉しい。
実際問題、あれだけ声が低いと歌えるキーの曲は決して多くないだろうな、とは薄っすらと思っていたから、こうやって歌う企画に我が君が関わっているということが、心から嬉しく、そして誇らしくもある。
ザリくんもあの柔らかい歌声が心地良くて好きだったので、こうやって我が君と歌うなんて、何だかまるで夢を見ている気分だ。
まだ、ENcounterという企画は続くようで、これからも新鮮な驚きや、喜びにいっぱい、"encount"出来ると思うと楽しみで仕方無い。
以下、海外ミュージカルの「エリザベート」について、少し。興味がある人は読んで頂けたら…。
シェーンブルン宮殿で上演されたウィーンミュージカル「エリザベート」のコンサートが、テレビで放送されていた。エリザベート、しかも初演でエリザベートを演じて以来幾度となくエリザベートを演じた名女優のマヤ・ハクフォートが出るコンサートだったので、途中からだったけれども見た。
私の、エリザベートについての一番古い記憶は宝塚で初演、そして本邦で初演でもあった一路真輝さんがトートを演じたエリザベートで、VHSで見た映像。そのVHSも母親が誰かからお借りしたもので、我が家所蔵ではない。まだ小さかったし、画質が良くない映像だったので細かなニュアンスやストーリー、また歴史背景も分からなかったけれど印象的な作品だった。音に厚みがあって、時に力強く、時に寂しく、総じて美しい楽曲の数々は一路さんの素晴らしい歌唱力も相俟って、子供心に素敵だなと思ったし、トートすなわち「死」という概念の具象や今でも残るエリザベートの肖像画を模した豪奢な衣装も、インパクトが強かった。
エリザベートは、言ってしまえば宝塚におけるドル箱の輸入ミュージカルで、その後長じた私は何度も再演された公演の映像を見たし、劇場でも観た。エリザベートのストーリーは、歴史と幻想と、そして事実が綯い交ぜになっているにも関わらず、とても精緻かつ分かり易い。
タイトルの通り、オーストリア•ハンガリーの皇后だったエリザベートの一生の物語だ。
本来であれば彼女の姉•ヘレネがオーストリア皇太子、後の皇帝フランツ・ヨーゼフに嫁ぐはずだったのに、お見合いの場でフランツ・ヨーゼフは花嫁修業までしたヘレネよりも、その妹のお転婆で溌剌とした、あまりに瑞々しいエリザベートの魅力に惹かれてしまった。そんなエリザベートの人生、「死」が彼女を抱き留めるまでの数奇な人生の物語。
もうひとり、いや可算名詞ではないけれど、でもひとり、と言おう。もうひとり、このミュージカルでの大きな役が「死」、すなわち「トート」。ミュージカルではストーリーテラーにもなる、ルイジ・ルキーニ的には「黄泉の帝王•トート閣下」。エリザベートとトートの出会いはエリザベートがまだ幼い頃、馬に乗って、詩を書いて、パパと狩りに行く方が楽しい聡明で、でも貴族の子女としては奔放過ぎるシシィ(エリザベートの愛称)の頃。
本来は命を落とすはずだったシシィの美しさを、あろうことが「死」は、トートは愛してしまう。あろうことか、一度取った手を離してしまう。それ以降、トートはことあるごとに彼女の目の前に姿を現していく。エリザベートの人生の様々な岐路において、トートは忽然と現れ、叫び、怒り、笑い、そして悲しむ。ある意味、ひどく人間らしい役だ。何ならこのミュージカルは、悲しいほど人間らしい。
自分を曲げられず、自分を愛するようには他者を愛せず、強くいることしか出来ない皇后エリザベート。
母と妻と、そして国家元首という権力や責任の間で揺れ動き、愛という感情を捨てきれない皇帝フランツ・ヨーゼフ。
あまりにも孤独で、少し愚かで、でもそれは決して彼の罪ではなかった皇太子ルドルフ。
そして、エリザベートを手にかけながら「何故」が答えられないルイジ・ルキーニ。
エリザベートというミュージカルは、エリザベートがルキーニの凶刃に倒れるまでの一生涯の物語で、そして主にオーストリアという国の歴史の物語。人間だけが編める悲劇だ。
日本でも宝塚は勿論、東宝主催で何度となく上演された。
それぞれの魅力がある。当たり前だが演者の違いで本当にカラーが変わる。誰のエリザベートが、そして誰のトートが良いかなんて観劇する側の好みでしかなく、優劣は無いけれどもエリザベートという演目で大事だと思うのは、エリザベートが「いかにシシィのままか」ということではないかな、と個人的には感じていて。
このエリザベートという美しい女性は、いつまでも「シシィ」でいることをやめなかった。自立と自由を望み、闊達に笑う人。そして、ありのままのシシィを受け容れて欲しがった人。
だから傍目にはとても意固地で頑なに見えたりする。時には孤立し、彼女自身が涙し、怒りで震える。最後の最後まで、エリザベートは「シシィ」というひとりの女性だ。
オーストリアとハンガリーの皇后、皇帝フランツの妃、皇太子ルドルフの母ではなく、「シシィ」。その力が瞳に宿っていることが、大事なのだと思う。そういう意味で、マヤ・ハクフォートは徹底して「シシィ」だった。溢れんばかりの力強さ、いくつになっても彼女の裡に棲む、エリザベートの魂が感じられて、私は初めて、映像とは言え、マヤのエリザベートを見ることが出来て良かった。
このエリザベートは先述の通り、どの曲も素晴らしくてルキーニが繰り返し同じメロディーで歌い、その度に盛り上がる「キッチュ」や、有名な「私だけに」や「闇が広がる」、「ミルク」…。
そんな名曲の中でも、私が一番好きな曲は「夜のボート」だ。
積荷の重さはそれぞれ違う。
海で出逢ってしまったら淋しいから。
離れるしかない。そう歌うエリザベート。フランツ・ヨーゼフはいつだって彼女を待っていたのに。
この曲を聴くと、思い出す。フランツ・ヨーゼフの老年の写真。大きな犬と映った、ひとりの寂しげな老人の写真だ。
漕ぎ出したボートの一艘は彼のもとにはとうとう帰ってこなくて、彼はひとり、人生を歩む。フランツ・ヨーゼフが見たかった未来は、シシィと共にあったのに。でも、多分、シシィがシシィである限り、ボートは離れ離れにしかならないのだな、と思いながらいつも美しい音楽に耳を傾ける。