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スピリチュアルな話ではなく、視覚より感覚な娘な話。

思春期と呼ばれる年頃の娘を育てている。
2,3歳頃までのほわほわなアンニュイさは消え、もう少しで女性と呼ばれるようになるような背丈と顔立ちになってきた。
学校と言う狭い世界に居心地の悪さを感じたり、あの世代特有の行事のたびに発生する絆ムーブに高揚したり、私から見ると典型的な長子タイプだ。
そんな娘は時々切り口が鋭い。
旅先での移動中、
高速道路から見える太陽の塔を見て
「圧が強くて呪われそう」
と言ってのける。
強い強い、言葉が強いって。といさめていたのだけれど、その後「岡本太郎氏は呪術師だった」というネット記事を見てあまりにタイムリーで笑ってしまった。
そんな笑い話を姉にすると、仕事で必要だと読んでいた愛着障害の症例に岡本太郎氏が出てきたと言うのだ。人に驚かれるような複雑な環境で育つも、ただその環境や境遇を嘆くことは一切なかったらしい。
彼の外へ出す事が出来なかったあるいは出さなかった感情が、彼の創造物に宿っているのかもしれないと思ってしまう。
人々が惹かれる彼の作品の圧倒的なエネルギーは、誰もが思い悩む他者との愛憎をも孕んでいるからなのかもと感じてしまった。

呪術師と言うワードから、私の脳内は呪術廻戦へジャンプする。なんという安直さ。
人の負の感情が呪いとなり、その暴走した呪いを呪いで祓っていく。突飛にみえる設定をすんなり受け入れられるのは、日本人ならその感情やその感情の具現化に馴染みがあるからだと思う。
呪術廻戦の主人公は相手を顔ではなく魂でみているという描写がある。なるほど、顔ではなく人相で、見た目ではなく纏う空気感で人を認識しているのかもしれない。
娘の感覚鋭過ぎない?と思っていたが、もしかしたら、うちの娘も魂に近い何かを見ているのかもしれない。

そう言えば夫婦喧嘩がもつれた時には、
彼女にこう斬り込まれた。
「空気ってこんなに重たくなるんだね」

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