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答え合わせ旅日記

大阪に家族旅行に行った。
北極星のオムライスも551の豚まんもあんまんも、リクローおじさんのチーズケーキも、行く先々で買ったたこ焼きも全て最高だった。
でも残しておきたいのは太陽の塔見学だ。
前回、岡本太郎氏が呪術師だという話をnoteに記した。その答え合わせのような大阪旅行だったのだ。

まず吹田に入り、太陽の塔の見学に行った。
外から見る朝の太陽の塔は、夜高速道路に向かってビームを放つ姿と変わらず圧巻の存在感だった。
放つオーラがすごい。
裏にある顔はまた違う存在感を放つ。物事の表と裏かの様だ。纏う雰囲気が表の顔とは違う。裏の顔をじっと見ていると吸い込まれそうだ。こちらの心の奥底をのぞくように、じいっとこちらを覗くような表情だった。見ているのではなく、こちらが見られている感覚だった。
事前に申し込みをしていたので、塔の中も見学する事が出来た。
ここが予想外だったのだ。
入って見学していると、なかなか奇抜な像やまがまがしさを感じる色合いに最初は圧倒される。娘は少し怖さすら感じていたようだった。
しかし階段を登りながら塔の上にあがっていくうちにその空間に慣れてくる。慣れてくると感じるのは、強烈な優しさや慈愛なのだ。やさしくて、そしてあたたかい。生命の変遷を辿っていくその空間は、どんな人間もやさしく包み込んでくれる。救ったり、罰したりするのではない、ただただ受け入れる感じなのだ。人間の怒りや悲しみや憎しみなどもまとめて全部、やさしさで包むのだ。
塔から出て来た私は随分ぽやぽやしていた。
見に行ったのは私なのに、私が塔に見られ受け入れられたような不思議な空間だった。
うん、余韻がすごい。

帰りの階段に
「芸術は呪術である。」
という岡本氏の言葉があった。
呪術師と言われるのはこういう言葉から始まったのかもしれない。
呪術師だと初めて聞いた時は、力で祓うタイプの呪術師を想像した。しかし今回の旅を通して、彼は慈愛に満ちた何でもお見通しの神様みたいな呪術師だったのかもしれない、と思い直した。
私たちは今日も、慈愛を内に秘めた、強烈ビームを打つあの塔に守られているのかもしれない。

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