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アルコールと背徳感

 学生の頃、ホテルのバーでバイトをしていた。
 バイトにカクテルのシェーカーは振らせてもらえないので、マスターが作ったものをテーブル席に給仕する仕事と、客室のルームサービスも兼任で行っていた。
 当時まだバブルの余韻が残っている頃で、お客さんによくチップをもらうのだが、気前のいいひとだと万札をピッと渡してくれる人とかもいた。
 時給は¥1,500で、当時としては異例の好待遇であったし、何より酒に興味があったので、願ったり叶ったりといったところだった。
それにしてもお客さんにはよく飲まされた。
「ちょっとここにすわれ」
と言われて飲まされる。
 もちろん飲まされるのはウイスキーなのだが、何故か当時は誰もがシーバスかオールドパーの完全2択だった。飲め飲めと煽られると、もうバイトをしにきたのか飲まされにきたのか訳がわからなくなる。
 フラフラになってカウンターに戻ると、マスターが、
「やられたな」
 と笑って迎えてくれる。
 あんな狂った時代はもう二度とこないだろう。

 いつも若い女性を連れてくる常連さんがいた。
 それはそれは素敵なオジサマだったのだが、その方がいつも決まって注文するのがオールドパーのストレートに加えて、チェイサーとしてのトニックウオーターだった。

 はて、トニックウオーターとは。

 その未知なる謎液を裏で隠れて、飲んでみたときの味わいは忘れない。
 ウイルキンソンの小さなビンから注がれた透明な炭酸水からは、柑橘系のフレーバーが立ち上り、口に含むと心地の良い苦みとほのかな甘みが広がる。
 それは大人の味わいだった。
 お前ウイスキーとか散々飲まされていたんだろう、何を今さらトニックウオーターで、と思われるかもしれないのだが、実のところ未だ興味本位での飲酒という領域にとどまっていた私は、ビールの苦みすらまだよく理解できていないお子ちゃまであったのだ。
 そんな時、トニックウオーターの苦みは、アルコール飲料との橋渡しをしてくれるかのような、大人の世界へといざなう案内人のような役割を果たしてくれた。
 そしていつも思うのだが、この飲み物、何でこんなにマイナーなんだろう。コンビニとかでは見たことが無いし(多分)、比較的品揃えのよい酒屋でしかお目にかかれない。大体は冷蔵庫に入っていないので、買ってすぐにはぬるくて飲めない。こんなうまい飲み物を子どもになんかに渡してはならないという暗黒組織の陰謀でもからんでいるのだろうか。
 トニックウオーターの成り立ちは、マラリアの特効薬とされていたキナノキから採れるキニーネと呼ばれる成分を使用し、薬用効果を求める飲料だったということだが、まさか今時そんな成分が入っているとも思えないので、子どもに与えないようにする目的とも思えない。
 おっと、ホントにそうかと思って調べたら、アサヒ飲料さんからキニーネ入りのトニックウオーターが出てますね!これは是非とも確かめてみなければ。
 昔は何かこう、いわくつきの飲み物ってあったじゃないですか。アブサンとか。手元にあるカクテルレシピ1380という本の何と冒頭(Aから始まるからなのだが)にはアブサンベースのカクテルが30種ほど載っている。
 はっきり言って、こんなのは魔女がイモリの足とかを入れて作る毒薬と何ら変わらない印象なのである。大体「アースクエーク」別名「鬼殺し」とか「ヤンキープリンス」とか、およそまともな酒飲みが飲るネーミングではない。味なんか関係ねえ。アルコール+背徳感で満たしてやるよと。もはやそういう世界を狙っているとしか思えない。

 それにしても、ビールやコーヒー然り、なぜ大人は苦みに惹かれてしまうのだろう。暑い夏の夜のカンパリソーダなんかはもう最高ではないか。

 以来私は、あのステキなオジサマのような大人に、チェイサーにトニックウオーターが似合う大人になれたのだろうか。
 オールドパーの味わい渋く、イカしたオジサマに。

 ・・・残念。

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