ある牧師の戦後

私が以前、論文を作成した際、ある牧師の方にお話を伺ったことがあります。
その牧師さんは、戦前の生まれ。そして太平洋戦争中には、特攻隊員として志願兵になったのでした(出撃前に終戦)。
曰く、「当時は天皇陛下が神様であるとして、そのために命を捧げるように言われ、死後は靖国神社に祀られることを意味していた」、「現人神天皇が偽りであった以上、靖国神社もデタラメである」。
その牧師さんは、終戦前後に日記を残しており、それを見せてもらいました。
いわゆる「軍国青年」ら若手軍人ら有志が、四国の山岳地帯に入り、ゲリラ戦を計画するなど、それはとても生々しいものでした。
その牧師さんは、終戦後、すぐに考えを変えることができた訳ではありません。死ぬことを恐れさせない教育、本音と建前の日本で、どれだけの日本人が戦前の教育を間に受けていたかは分かりませんが、この牧師さんは真摯に、ひたすらに戦前の教育に忠実に生きようと心がけていたのです。
軍国思想が抜けない中、牧師さんは初めて、聖書に出会います。「マタイの福音書」を読み、「姦淫するなとは皆が言われている。しかし、情欲を抱いて女を見るものは、心の中で既に姦淫している」(筆者意訳)という文章に衝撃を受けたそうです。自分は死んで神になるつもりで生きてきた、恋愛や結婚などくだらないと考えてきた。でも、心の中ではあの女の子が可愛いなとか、デートしたいなと思っていた自分もいたと。この聖書との出会によって、牧師さんにはやっと「戦後」が訪れたのです。
その後、教職に就いた牧師さんは、日本の戦争が侵略戦争だったことを自覚します。
そして、韓国の教会と交流する中で、日韓親善に注力するようになります。それは謝罪の活動でもあったと言います。
ちょうど私がお話を聞いていたその当時、日韓で慰安婦問題を巡る合意がなされました。
今でも賛否が別れる問題だと思いますが、当時、牧師さんにこう言われたことが印象に残っています。「今回の合意は、私は否定的に見ていません。あくまで問題解決のきっかけとすべきものです。鈴木さん(筆者)のような若い世代が、今後は日韓の「謝罪と和解」を考えてください。」
あれから10年近く経ってしまい、私も若くはなくなってしまいました。最近、沖縄の歴史を勉強する中で、日本が侵略を進めた歴史、さらには日本が海外に出ていくきっかけとなった欧米列強の世界進出ということに憤りを覚えてしまいます。
なぜ世界には植民地主義が横行してしまったのか。この世界的な動きに流されるまま、日本は国家として「滅亡」し、大多数の国民、そして近隣諸国の人々にも被害を与え、戦前に生まれたこの牧師さんの人生を変えてしまったとも言えるでしょう。
どうしてもこの時に聞いた話を残しておきたいと思い、ここに書かせてもらいました。
ネットの海に飲み込まれるだけとは思いつつ、誰かの目にとまり、心に残ってもらえれば、牧師さんが人生をかけて取り組んだ「謝罪と和解」の精神が繋がっていくと信じています。

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