【書評4冊目】沖縄について私たちが知っておきたいこと(高橋哲哉・ちくまプリマー新書)
「沖縄では、沖縄への長年の基地集中とその過剰な負担への本土の無関心は、沖縄に対する差別の結果だという認識が広まっています」(同書9p)
沖縄県への米軍基地の集中。沖縄県民が差別と感じる原因とは何なのか。「国家と犠牲」をテーマとする著者が論ずる。
《本の紹介》
沖縄県民は、どういった理由で米軍基地に反対するのか。「平和主義」だけでは語ることのできない、沖縄の歴史に目を向ける必要があるでしょう。本書の大きな特徴は、沖縄に米軍基地が集中する現状について、「知っておきたいこと」を本土にすむ日本人=大和人に対して呼びかけている点です。
沖縄県は、近代まで薩摩と中国に両属しつつ琉球王国として独立を保っていたことや、アジア地域との国際貿易の舞台だったことは本書評でも触れてきました。その上で、日本となった沖縄は、本土決戦のための時間稼ぎとして、壮絶な地上戦となる「沖縄戦」の舞台となり、大きな被害を被りました。注目すべきはその戦後処理で、当初、日本側が、降伏の条件として死守する「固有本土」の中に、沖縄県が含まれなかったことや、マッカーサーに対して昭和天皇が、米軍を沖縄にとどめ置くように求める書簡を送っていることなどは、知らない人も多いと思います。本土を守るために沖縄は犠牲にされる、沖縄の人がそう思ったとしても不思議ではありません。
そして沖縄の本土復帰では、憲法9条によって米軍や米軍施設から解放されることを願ったにも関わらず、日米安保協定、日米地位協定によって、それらが合法化されました。しかし、これらの法律制定時、沖縄は米軍統治下にあり、国会議員を輩出できていません。沖縄の意思が不在のもとで決められた法律によって現在の基地負担を強いられている面があると言えます。
日米安保体制は幅広い世論の支持を集めています。国連常任理事国が平然と侵略を行っている様を見せつけられては、当然、その支持が集まるのも理解できます。その一方で、安全保障という利益を得ながら、負担の多くを沖縄に押しつけている現実は無視できません。筆者は、沖縄で基地に反対する市民団体代表の言葉を借り、沖縄が過度な負担を強いられることの「不公平」を指摘します。沖縄の人々は、琉球処分から沖縄戦、そして現在の基地問題へとつながる歴史の中で感じる、連続的な「不公平」に、構造的な差別を感じているのではないでしょうか。
本書は、安保体制維持を望む声が圧倒的多数を占める陰で、沖縄県という一部に負担を強いる「不公平」について問題提起する1冊と言えます。
《重要ポイントの要約》
○琉球処分は、吉田松陰の「幽囚録」に記載されたことを実行するかのように進められた。
○沖縄にとって琉球処分は、武力で強いられたものだが、自民党本部が沖縄県選出の自民党国会議員らに圧力をかけ、辺野古基地移設を受け入れさせたのはそれを思い起こさせる。
○琉球処分後、反対する人々が福建省福州の琉球館に集まって活動した。清との交渉において、日本は、宮古・八重山諸島を清に譲る用意があった。
○第2次世界大戦の和平交渉において、守るべき国土の中に、沖縄は含まれなかった。
○マッカーサ-に対する天皇メッセージには、昭和天皇が、沖縄への米軍駐留を望む内容が記載されていた。
○米軍占領下の沖縄県民は、平和憲法を持つ日本に復帰することで米軍や基地からの解放を願った。
○沖縄県の面積は全国の0.6%、人口は1%。その沖縄に米軍基地の74%が集中している。
○米軍基地の本土移転については、民主党時代の森本敏・防衛大臣が、西日本のどこかなら軍事的に機能するが、政治的に許容できないと述べている。
○内閣府のアンケートでは、安保条約の支持は9割以上。しかし、基地の7割は沖縄に集中。
○1998年には、124人もの沖縄県の女性が東京を訪れて「基地の買い取り」を訴え。「女たちの東京大行動」と呼ばれた。
○沖縄県出身の社会学者・野村浩也は、「日本人」は「沖縄人」に対して基地の押しつけという植民地主義を行使していると訴え。「本土で基地を引き取る」という問いに対し、沈黙でいることは左右の思想を問わず、「植民地主義」的であると主張。
○最近でこそ、基地を本土に移すべきという声が増えているが、それでも、自分の住む地域に持ってきても良いという声は増えていないことが問題。
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