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春風通り(バス停)

バス停がある。
いつも、私がお世話になっているバス停で、ここから歩いて10分ほどの学習塾へ通っていた。
今は晴れて女子高生となり、念願のセーラー服に身を包み、今日は親友と港の海が見える公園でシャボン玉予定。
みんなと同じ15の春で卒業したのに…
私は高校受験のために16となった1年前もバスに乗り、塾へと向かっていたのだ。
母の知り合いにバスの運転手がいて、
「いっこちゃんとこの娘、どうしたの?毎日、春風通りまで来てるっしょ?いっつも丁寧に運転手に挨拶してなぁ…癒しのマドンナってあだ名ついてるべさw」
・・・田舎の噂は早いんだよね。
どんなに身を隠して、おとなしくしていても目立つ。
「ウチの子、病気しちゃって受験できなくて、来年、高校さ行くのよ。だから、補習みたいなもんで塾さ行ってんの」
母はスラスラっと嘘をつく。
本当は、私が高校受験に失敗しただけなのに…。
でも、言い訳がしたい。
私立の高校へ行く事もできたし、ランクを下げれば入れた高校もあった…と思う。
ただ、ウチは母子家庭だったし、授業料とか高ければ通えないと…長女なりに遠慮したつもり。
まぁ…緊張もしたし、頭も悪かったから、結果的には浪人という形で迷惑をかけているのだけれども。
私なんかに「マドンナ」なんてあだ名をつける運転手さんたちも…どうかしてるw
別に挨拶なんて普通のこと。

そういえば…バスが事故かなにかで大幅に遅れた時、タクシーに乗ったことがあったけど…運転手さんに
「女心と秋の空だね」
なんて言われて…
「うふふ…そうですね」
って返しただけなんだけど…
降りる時におつりの50円玉が切れてて、さらに10円2個しかないから…とかいう理由で、おつり80円のところを100円玉もらったっけ。
その運転手さんに
「結婚して欲しいくらいだ、キミは素直な子だね」
と言われたのを覚えているw
えええ???と困惑した私を見て、ゴメンゴメンと謝りながら、いらないと断ったのに100円玉をくれたお兄さん。
タクシーに乗り込むなり、女心と…って言われ、なんて返すのが正解かわからなかっただけなのに褒められたりしてさ。
あの人も元気にしてるだろうか?

私が高校に合格するまでの道のりは平坦ではなかった。
行きは、銭湯前のバス停から乗ってくる親子と仲良くなって、小さな子と話すのが好きな自分に気がついた。足の悪いおばあちゃんに席を譲ると、笑顔で感謝され…良かったなと心が救われた。
高校受験に失敗すると、人として生きていることすら肩身が狭いから、自分がしてもらったこと全てに感謝しかなくて…
だから、バスを降りる時も「(いつも安全に届けてくれて)ありがとうございました」と挨拶をしていた。
私が忘れない記憶として、たった一人だけ…その私のありがとうに返事をくれる運転手さんがいた。
その人は、親子が降りる時も
「またね」と言い、
足の悪いおばあさんがバスを降りる時は
「滑らないように気をつけて」
と声をかけていた唯一の人だった。
きっと…私よりずっと年上のお兄さん。もしかしたら、おじさん…かもしれないけれどw
素敵だなぁと思っていた。
行きのバスでは、
「行ってらっしゃい」「頑張ってね」
と言ってくれたので、最初は驚いたけど嬉しかった。
帰りのバスは、私の行きたかった桜陽高校の生徒たちが途中から乗ってくるので、中学時代の人たちに自分の存在を知られるのが怖くて、身を縮ませてひっそりしていたのだけど…そんな時は心配そうな顔で…
「お疲れさま」「今日もありがとう」
と声掛けてくれたっけ。
今頃…あのお兄さん、どうしてるかなぁ?と思い出していた通学の朝。
あの運転手さんを深雪小学校下のバス停で見つけたもんだから…うれしくなっちゃって…親友のユキエに高鳴る想いを話したく、港の海の見える公園に来たのだ。

「あの運転手さんに会ったの!朝のバスなんて乗る機会なくなったからさ、覚えててくれたのかなぁ?頭ぺこりくらいしかできなかったよぉ」
と私。
恋多きユキエが
「もうさぁ…国語の阿部ちゃんも結婚しちゃうらしいし、バス会社に就職して、あんた、あの運転手さん射止めたら?バスガイド…向いてるよ」
と笑って返されたっけ。
春風通りから港まで、ぱんじゅうを食べながら歩き、すぐそばのバス会社を横目に運河を越えて港の海の見える公園へ、乙女たちの会話は続く。
よく晴れた放課後、心地よい春風とともに、遠くまでキラキラと舞うシャボン玉、桜の花びらと一緒にマドンナの想いを乗せて・・・どこまでも。



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