
ボランティアとかムリだから
今日は所用で初対面の方にお会いしてきました
もともと社会不適合者の我々
初対面の方に対し、緊張のあまり訳のわからない事を口走り、
沈黙に耐えきれずもっと理解不能な事を熱く語り出し
「ねぇ?ねぇ?」とお互いに確かめ合い
「そうなんすよ、デュフフ」などと意味不明なやり取りを披露して自己嫌悪に陥り
帰りの車内では、おちてたもみじ饅頭「福山限定ローズ&ピーチ味」を食べて
あまりにも個性的な味に悶絶し、どっちが買ったものかかーるくいがみ合い
自宅に着いた頃にはヘロヘロに疲れ果て
ちょっと昼寝をするつもりが3時間も寝てしまい、
さらに己のダメさ加減に磨きがかかった事を自覚しつつ
暗くなった町にお買い物に出かけたのでありました
では、このへんで本題のボランティアについて
世の中にはたくさんのボランティア団体がありまして
日夜地道な活動に頭が下がる思いです
ボランティアの皆さんと我々の決定的な違いを考えてみたのですが
1.理念がない
ない、ないものはない
あまり後先考えずに生きている我々です
せいぜい次の食事のメニュー程度しか考えられません
予定も立てられず、ゴミ出しの日は前日から緊張します
そのくせペットボトルの日ははなから頭になく、3ヶ月分のペットボトルの山を前に途方にくれます
そんな我々には理念など難しすぎます
2.収支報告できる緻密さがない
皆さんからありがたい寄付等いただいたとしても我々にはそれを管理する能力がありません
皆さんが「猫のためにちゅーるでも」と
寄付したゼニだとしても
ATMから排出された時点で使い道は無限大になってしまうのです
なぜならゼニには名前が書いてあるわけではなく、使途は手にしたモノ次第なのです
愚かな我々は多分財布に入ったゼニが
『なんの為のゼニか』などとは考えもせず
「おっ、一番くじモフサンドじゃん!ラスワンひいたろ」となる可能性が高いのです
でもそんなことをしたあかつきには地獄行きまっしぐらです
地獄に行く前に税務署がくるかもしれません
このまま猫とのんべんだらりと暮らすためにもそれは避けなければなりません
3.我々の猫は手放したくない
ボランティアをする以上はたくさんの猫を保護することになるでしょうが
我々はただの猫好きなので、手に入れた猫を手放すことができなくなる恐れがあります
実際、ままちゃんの子供のうーちゃんとしおちゃんは里親募集をかけたものの
一旦は決まった里親さんからキャンセルされた時点で「もう、うちの子でいいじゃん?」となってしまいました
情がうつらないよう、牛柄だからうーちゃん、黒猫だからくぅちゃんとあえて
名前をつけなかったからにも関わらずです
そんな我々がボランティアになどなったら破滅は目に見えてます
とはいえかわいい我々の猫を自慢したい気持ちは
人並みに、いや人並み以上にあるので
我々の猫に課金したい方と自慢したい我々の欲望の終着点について次回は考えたいとおもいます