フラメンコと王室
🇪🇸「ワイの伝統的な踊りのフラメンコはな、15世紀にインドからジプシーとしてワイの家に北側のルートで移住してきた民族が持ち込んだ舞踊と、ワイの家の南部を支配しとったアフリカのイスラム教徒のムーア人の音楽と、その中におったユダヤ人の音楽と、ワイの世俗音楽が15世紀にアンダルシア地方で融合して生まれたんやで。ワイの家での中世の音楽はビリャンシーコと言う形式が使われとってな、Aメロ→Bメロ→Cメロ→Cメロ→Aメロ→Bメロ→Cメロという感じやったで。こういう歌はカンティガと言うてな、主に宗教的な内容の歌詞やったで。16世紀以降、オスマン帝国がワイの家まで支配しに進出してな、それまでにレコンキスタを成功させたワイたちカトリック教徒とも平穏に暮らしとったユダヤ人もイベリア半島を追われたんや。そんでな、彼らもジプシーも迫害を受けたで。その辛さを訴えた歌詞が発達したんや。ジプシーの音楽はな、音階上の隣音同士が増2度(半音3つ)と短2度(半音1つ)の間隔が主流で、ドとレだけが長2度(半音2つ)や。民謡は主に口頭伝習やったで。16世紀のワイの家の音楽はな、ビウエラと言う弦楽器の伴奏による歌曲が主流やったで。そこにジプシーやユダヤ人の叫びの歌詞を充てたんや。ギターが使われるようになったのは17世紀の終わりやで。流浪の民であったジプシーをアンダルシアに定住させたんやで。彼らのことをワイは山賊や乞食かと思っとったけどな、移動する生活はジプシーの伝統やから無理やり留められた嘆きや苦しみが歌詞に現れたで。フラメンコと呼ばれるようになったのは19世紀以降やけど、名前の由来にはアラブの言葉で放浪する田舎者を指すフェラメングスとか、ワイがかつて支配しとったフランドル地方とか、アフリカにおるピンクの鳥のフラミンゴ🦩とか様々な説があるで。カタコンベと呼ばれる地下礼拝所から歌い手や踊り手が登場してな、飲食店や劇場でフラメンコが披露されるようになったで。こうした披露の場は『カフェ・カンタンテ』と言うで。次第に明るい曲調や強く生きる気持ちを反映した歌詞のフラメンコ音楽も書かれるようになってな、20世紀に入ってからは、オペラにも取り入れられたで。現在の国王フェリペ6世はな、世界中から愛好家が集まるセビリアのフラメンコのイベントの名誉総裁を務めておるで。また、アルハンブラ宮殿はもともと若い頃のワイの家を支配したアフリカのイスラム王朝の施設やったけど、レコンギスタを成功させたフェルナンド2世とカスティリャ女王イザベル夫妻が美しさを気に入り壊されへんかったわ。そこでは今は、毎日フラメンコショーが開かれるで。19世紀後半に書かれた『アルハンブラ宮殿の思い出』という曲は、世界的に有名になって韓国ドラマのモチーフにもなっとるで。」
《出典》
H.M.ミラー著、村井範子他訳『新音楽史』、p.90、p.161
この記事は『Axis Powers ヘタリア』の二次創作ではありませんが、キャラに合わせて関西弁の口調で書いたらBEGINの『おつかれさん』を思い出しました。https://www.youtube.com/watch?v=oq7XwSXByPI&pp=ygUaQkVHSU7jgIDjgYrjgaTjgYvjgozjgZXjgpM%3D
Youtubeで再生したら、なんとスペイン語の字幕が生成されました。