子供と大人の境界線〔フォーカス【現象の考察】6 Ver.2〕
子供と大人の境界線はなにか。
18歳になり、成人すること?
親となり、子供を育てること?
生業をもち、一定の成果を出すこと?
「否」。
そのような人で「この人子供だ…」「子供っぽい」と言われる人はいる。子供と大人の境目は、外形的なものではないだろう。
ではなにか。
どれだけ「自分は"正しい"とは限らない」と思えるか、だと考える。
「自分を"絶対視"しないマインド」を備えている、と言い換えてもいい。
ここで、小さな子供にありがちなマインドにフォーカスしてみる。
幼稚園から小学校低学年位の子供は、「自分が『好き』なものは、相手も当然『好き』なはずだ」という態度で接してくることがある。
聞いてもないのに突然、「仮面ライダーがねー…」とか「煉獄さんは一番強いんだよー」といったことを話し出す。
このときこの子供は、「自分が『好き』なものは、その人も『好き』なはずだ」と思いこんでいる。
「自分が『好き』なものでも、その人が『好き』とは限らない」とは露ほども考えていないだろう。
(もっとも、大抵の大人はニコニコ顔で聞いてくれるが)。
この「好き」を「正しい」に置き換えれば、そのまま「子供な大人」となる。
つまり、「自分が『正しい』と考えることは、お前も『正しい』と考えてしかるべきだ」というマインドが"それ"だ。
簡単にいうと「自分の気に食わない者を排除する人」のこと。
これが「子供」あるいは「大人でない人」である。
これは、"一人の例外もなく誰にでも"起こりうる現象であり、"目下・年下・格下"の人間が相手だととりわけ顕著に現れる。
「俺の"正しい"考えに沿わないから、お前はダメだ」と言った具合に。
「オレ様の"正しい"やり方・考え方」に沿わず、自分の頭で考えて仕事する部下を排除する「パワハラ上司」「ワンマン社長」。
「自分の理想通りの人間になる」ことを生徒に求め、そうならない者に徹底的に暴力を振るう「体罰教師」。
「自分が気に食わない」芸能人・インフルエンサーを執拗に誹謗中傷する「ネットストーカー」。
独善的ロジックによる"弊害"には枚挙にいとまがない。
もちろん、法、慣習、マナー、エチケット、職場マニュアル、マジョリティルール、科学的に証明された定説、長年の経験・蓄積により確立された手法など"客観的に正しいこと"は確かに存在する。
しかし、それらと"自分独自の好み・価値観"を同一視して「自分以外の人間もそうしてしかるべき」と考えるのは危うい。
なぜなら、相手からすれば、客観的でなく示されてもない、その人独自の正しさなど「知ったことではない」。
それにもかかわらず、 これをもって"当然の理"のごとく断罪されたなら、必ず反感と不信感を生むからだ。
「なんでお前の『正しさ』を"忖度"せねばならんのだ?」
ーと。
大概は「正しさ」ではなく、「立場」や「権力関係」により"強制"させられているにすぎない。
「大人と子供の境界線」は、知識・経験・年齢・収入・社会的地位の多寡・程度にあらず。
どれだけ「自分が『正しい』と考えたとしても、他の人とそうとは限らない」と思えるかで決まるのである。
なお余談だが、僕は某独裁国家を勝手に「こどもの国」と呼んでいる。
(2022/1/30に投稿した記事のリメイク)
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