「正しい言葉」について一考〔フォーカス【現象の考察】10〕
「正しい言葉」は「つるぎ」で「かがみ」。
他者に向ければ「他を判ずる断罪の剣」となり、自分に向ければ「己を律する自戒の鏡」となる。
もし、「他を判ずる断罪の剣」として用いるならば"覚悟"が必要である。
例えば、「思いやりを持つ」ことは大切だ。
しかし、他人に「思いやりを持て」と言う者は、そのことで相手に生じる負担を思いやっていない。
「努力する」こと自体はよいことだ。
しかし、既に努力している者に「努力が足りない」と宣う者は、他者を理解する努力が足りない。
「他人のせいにしない」は至極正しい。
しかし、自ら邪魔をしておきながら「他人のせいにするな」では、道理にもとる。
「他を判ずる断罪の剣」は"諸刃の剣"。
自身で体現せぬまま用いれば、「不信の刃」へと姿を変えて己に突き刺さる。
「権威の鎧」を纏えば防げはしようが、"消滅"には至らない。「鎧」が消えればすぐ貫く。
「正しい言葉」は、「己を律する戒めの鏡」として用いてこそ。
まず自分自身で体現して初めて言葉に力が宿り、「他をも照らす光」となる。
「思いやりが大事だ」と言いたくば、まず自分自身がまず他人を思いやるべきなのだ。少なくとも、他人に「思いやること」を押し付けないくらいには。
そう考えれば、「自身を例外とする言葉は発しない」は"当然の理"である。