「平和」-当たり前だけど、当たり前じゃないこと〔フォーカス【現象の考察】8-1 Ver.2〕
初夏のとある大学キャンパスにて。
グラウンドでは、学生たちが楽しそうにサッカーをし、少し離れたラウンジでは、別の学生が友人と笑顔で会話を楽しんでいた。
春の陽気な日差しの中、所々に響き渡る笑い声。
「あー、なんか平和だなー」
僕はなんとなくこう思った直後、ふと気がついた。
「ああ、なるほど。これが『平和』なんだな。」
ーと。
目の前に広がるすべての光景。
これが「平和」そのものだと。
あのグラウンドが地雷原じゃないから、あの学生は存分にサッカー楽しめるし、銃弾が飛び交う状況ではないから、安心しておしゃべりができる。
それは他もしかり。
空爆がありえたら、安心して買い物もデートもできない。
憲兵隊が見張る中、講義やアイドルライブは堪能できない。
食料・物資が不足すれば、子育てもビジネスも成り立たない。
戦争は「人を人として扱わない」。
「『お前は幸せになるな』という価値観」を、究極かつ最悪の規模と態様で強要する。敵国の人間、自国の人間問わず、すべての人々に対して。
人が、自分の人生を存分に謳歌できて、幸せになることができるのは、それではないからこそだ。
「すべての人間が、すべからく幸せになるための前提である、『人間の環境』それ自体」。
それが「平和」。
(2022/3/16に投稿した記事のリメイク)