リスニング・パラドックス〔フォーカス【現象の考察】17〕
「人の話は聞くべきだ」と宣う者ほど、あまり他人の話を聞いていない。
一方で、
「人の話は聞かなくてもいい」と主張する人ほど、意外と他人の話に耳を傾けている。
かかるパラドックスの核心は一つ。
いずれも「人の話」の「人」に、自分自身を据え置いていること。
前者は「"自分という人"の話をお前は聞くべきだ」ということ。
その根底には「驕り」がある。
つまり、「自分は優れるゆえに、聞くに値する話をする。だから、劣るお前は話を聞くべきなんだ」と言いたいのである。
その"裏返し"として、「劣るお前の話なんか聞かなくてもいいよね」ということで、他人の話をあまり聞かないのだ。
多少聞いたとしても、自分の価値観を否定せず、自分を不愉快にしない話をだけを取捨選択して聞く、「選択的な聞き」がせいぜいだろう。
後者は「"自分という人"の話を、あなたは聞かなくてもいい」ということ。
その根底には「謙虚さ」がある。
つまり、「自分の話は、他人にとって聞くに値しない。だから、話の価値性を高める努力を心がけよう」というマインドだ。
そして"その努力の一環"として、他人の話に耳を傾ける。
そうすることで、未知の知識や異なる視点を得て考えるきっかけをつくり、話の価値性を高めることができる。
さらに、他人の話に耳を傾ければ、その人は自分に好意と信用を抱くようになる。
それらにより、二つの点で自分の話を聞いてもらえる下地を築けるのだ。
「人の話は聞くべきだ」
と
「人の話は聞かなくてもいい」。
どちらを採るかは、その人次第。
しかし、結果的に話を聞いてもらえるようになるスタンスは、おそらく後者。
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