人の痛みが分からない自分

人の痛みが分からない。
世界は、そんな人をASDだとか自己愛性人格障害だとか名前をつけて、「とにかくヤバイ奴だからすぐ逃げろ!」と言う。
大抵の検索結果には、自分以外の「誰か」が「ヤバイ奴」という事止まりだ。
なら、自分自身が人の痛みが分からない場合はどうすればいいんだろう?

平素、元パートナーにぎったんぎったんにされて、まだ落ち込みが取れない私だ。
だが、そんな私自身も、人の痛みが分からない。
経験したことのある痛みなら痛いよねぇと理解はできる。
だが、とっさの配慮はできない。
特に肉体的苦痛は共感してもらっても痛みは消えない。そう思っているためか、痛がっている人に対してどうしていいかわからない。
私の人生で一番痛かったのは血管が詰まったことだが、もし目の前に同じ痛みを抱えた人がいたとしても、その人を楽にしてあげられるのは超強力な痛み止めか死だけだと考えてしまう。それか、1週間違うことに気を逸らしながらごはんしっかり食べれば楽になるよとしか。

こんな自分なので、誰かと深いつながりを持つのは辛い。
自分がいても何もできないから。
いくら友達が家族のペットが病気になって悲しもうとも、かける言葉が出てこない。
家族が落ち込んでもその状況を打破できるわけじゃない。
どうしろと?となる。
たぶん昔から「そう」なのだ。
そして、自分から外と関わろうとしなかったが故に心が育たなかった。
結果、元パートナーからは表情がなくて怖いとか30過ぎて小学生かとか自分で物を考えろとか同僚に嫌われる性格だとか苦労せずに生きてきたとか言われた。
非常に大きなお世話な上に特大ブーメランでお前が言うな案件だったが、それはさて置き。
初期はさめざめと泣いたが、もうどうでも良くなった。
人の気持ちが分からなくて困るのは、誰かを意図せず傷つけてしまうから。
なら、はじめから人を傍に置かなければいいのだ。
それはきっととても寂しいことだが、「人の気持ちを考えなさい」「人の痛みをわかりなさい」と言われても。
痛ければ我慢せずに休める環境を作ってあげるほうが大事なのではないか?
そして、顔色で察することはできないから、痛いなら痛いって言ってくれないと分からない。

人はどうやって人のことを考えることを覚えていくのだろう?

自分の痛みを理解してもらえなかったことを数えてみる。
頭痛が酷くて立っていられないのに、業者来るまでにコンロの掃除をしなさいと言われた。
洗わずにどれだけ放置されたか分からない猫缶(たくさん)を洗ってゴミ回収に出すように言われた。なお、親戚のうちから母親が持って帰ってきたものだ。結局誰も手伝ってくれず、嗚咽しながら一人でやった。
目の奥と頭痛が酷くて運転も怪しいのに、入院している弟のお見舞いに行けと言われた。今日は帰りたいと訴えても、弟が可哀想だと言われてぐうの音も出ない。
遠足の前日に蜂に足を刺されてパンパンに腫れているのに、痛いと訴えても先生は誰もわかってくれなかったし、結局歩ききった。不登校気味の子は車で移動していた。

人はどうやって人のことを考えることを覚えていくのだろう?

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