生きることは学ぶこと。

ここ10年ほど、失われた経験を補うようにかたっぱしから研修会に参加している。
私は学校で勉強して取った資格で働いている。
しかし、卒業1年前につまずいてしまった。
人見知りが発動してしまったのだ。
「私なんかがこの資格で仕事出来るわけがない」
私の中の何処に居たのか、ネガティブで卑屈で臆病で自己肯定感なんぞ皆無のくせにプライドだけは富士山並みな自分が顔を出した。
親は、本当の局面で私が逃げることを許してはくれなかった。
「もう辛い。卒業してこの資格で働けない。辞めたい」
それに対して、親は、
「とにかく卒業してこい」
だった。
私立の学費が水の泡になるぐらいなら、あと少し我慢して勉強して卒業してこいという親の考えは仕方ないとは思うが、言われた私は死刑宣告である。
4年生の後半に登校拒否気味になったが、今までクソ真面目に授業に出て勉強して成績だけはほんのりと良かったため、それまでの知識で資格試験には受かった。
授業と勉強は真面目にしておいて損はないと未だに思う。足りなかったのは社会勉強だっただけだ。
ちなみにそのあと、追い詰められて「辞退したい」と言った資格で5年間働いたし、「働けない」と言った資格で今ご飯を食べているので、人生とはどうなるか分からない。
よく子供が、「勉強ってなんのためにするか分からない。本当に社会に必要なの?」と言っているのを聞く。
私は生きるために学ぶのだと思う。
ぼーっと流されるように過ごしていても生きることはできる。
ただ、この世の中というのはやっぱり狡猾で残酷で。
他人を食い荒らして、涙で喉を潤して成り立っている。
私が勉強しておけば良かったなと思うのは経済とかお金関係のことだ。
つまり社会科系科目。
本当は聞くだけで拒否反応が起きるぐらい嫌いなんだが、知らないと本気で食い荒らされる。

生きることは学ぶこと。
無知は罪。

もし、座右の銘を聞かれたらそう答えるかもしれない。

なお、「職場に研修会費用を出してもらうのは申し訳ない」とかいう勘違いも甚だしい、いい子ぶりっ子を辞めようと思う。
何で私が休みの日(しかも天気良い)に、山にも行けず、半日潰して研修会に参加しなければならないのか。
職場の他の部署の人は、上から業務として研修に行っているのに私が休み潰して研修受けているのが、なんかバカバカしくなってきた。
もし駄目だと言われたら、聞きかじりだが、サラリーマンでも自己研鑽の費用は何かこう、自分で申請したら経費にできるらしいという話なので、もうちょっとしっかりお金の勉強をしたいところである。
というわけで、あと一時間ぐらい、オンデマンド配信の研修動画を見てレポート書いて来ようと思う。
終わったらお酒飲もう……

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