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「死にたい」の後ろにある本音。

ふと、死にたいと思う時がある。
希死念慮という言葉を知ったのは30歳になるかならないかの頃だったか。それまでは、自殺願望ともちょっと違う、得体の知れないこの考えに苦しめられた。
私には病名となるようなものは何もついていない。
精神科やメンタルクリニックに行かなくても、何とか持ち直しているので、私の繊細さや打たれ弱さというのは『嘘』だと思っている。
それでも『普通』の人は死にたいだとか消えたいだとか自分は価値がないだとか思ったりしないらしいので、私はやはり、異端で異常なのだ。まあ私は『ニンゲン』じゃないからいいかと無理やり納得させている。
ある精神科の先生は言っている。「死にたいは脳の誤作動だ」と。
大抵は寝不足だったり、空腹だったりして、それが簡潔な四文字『死にたい』で代弁されているらしい。
では、今朝から頭の中で鳴り響いてる私の『死にたい』は何がいいたいのか?
今、この文章を言語化する中でまとまってきたのだが、「仕事やりたくねぇ」だそうだ。
私は段取りがあまり上手ではない。けどやらないと本当にやらないので、とりあえず片っ端からすすめていくのだが。
ここ最終局面になってこの段取りの悪さが裏目に出てきた。これが昨日までの話。
それを多方面に連絡し、最終段階を終わらせるのが今日しなければならないこと。
それひっくるめてめんどくさいのだ。
しかし、やらないともっとめんどくさくなる。
それも知ってる。

そうやって、自分の中の赤ちゃんの泣き声のような、意味不明の「死にたい!」を、少しずつ紐解く。
人間はわからないものに対して恐怖を抱く。それを「死にたい!」という言葉で表現している。
わかれば、対処ができる。その頃には怖くなくなっているのだ。
結局、自分の感情は自分で向き合うしかない。

まあそれでも駄目なら、私は休みの日に半日山歩きをするが。

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