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三回目のコロナ

先日、「気管の調子が悪い」と言いながら、マスクもせずにげほげほやっていた母の近くにいた私は、速攻でコロナをもらった。
職場はソーシャルワーカー故、コロナには理解がある(と、思いたい)。
家族のコロナ感染と喉の痛みを訴えると、すぐ休みをもらえた。
職場で定期的な抗原検査を実施していた。鼻に綿棒をつっこむのも慣れた。
過去、私は二回、コロナにかかっている。二回とも職場から貰った。その間半年だ。
濃厚接触者扱いで出勤停止をくらったこともある。
ここまでくるとコロナ感染のプロ。あとはどうすればいいか身にしみてわかっている。

何にも考えず、体調管理につとめてなるべく早く治す。

朝、四時半に起きて、家中のカーテンと窓をあけてまわった。空気をいれかえないといけない。冬でなくてよかった。
幸い中の不幸で、弟のみがコロナにかかっていない。彼にうつすわけにはいかない。
完璧なゾーニングは無理だ。すべての生活はリビング周りに集中している。感染しないように、「弟を」隔離した。彼はもともとコンビニ飯の人なので、食べるもの飲むものには困らないだろう。使用するトイレも指定した。
本日の抗原検査も陰性で、元気に仕事に行った。そのまま健やかでいてほしい。
ゾーニングが難しい理由は父母にある。どうしてもリビングでくつろいでしまう。寝室に入っていろは無理な話だ。あと、ベッドにしばりつけてしまうとがっつり体力低下してこの後が大変になる。
ちなみに、この「自室に隔離」は結構有効な手段で、元パートナーがコロナにかかったときは部屋に押し込んだのだが、この時はなぜか拾わなかった。「同じ空間で生活しない」の重要性が非常によく分かる。
自分の体調を振り返る。体に違和感はないか、喉の痛みはあるか、食欲はあるか、昨日食べて飲んだものは?、排尿はあるか?など。特に、私は血栓ができやすいため、脱水はご法度だ。起き抜けにトイレに行きたくないということは、昨日発熱している可能性があるため、ロキソニンとともにコップ一杯のお茶を飲んだ。味がする。
毎回不思議なのだが、私には味覚障害と嗅覚障害の症状が出ない。出たら亜鉛サプリを買ってきて効果があるか確かめるのだが……
問題ないことを確かめ、いったん仮眠をとる。昨日の夜が嘘のように寝付いた。昨日まではずきずきと痛んだ腰が少し楽になっていた。ロキソニンの効果か、それとも生理痛だったのか。
3時間後に目が覚める。どこからも連絡はない。
母の呼ぶ声で下に降りる。やっぱりノーマスクでリビングでくつろいでいた。窓をあけておいてよかった。
弟よ、いっそホテル住まいの方が君はストレスがないかもしれない。
スマホゲームをしている母をよそに、コーヒーを淹れてトーストを焼く。
食べたら床掃除。どうせあと3日外に出られない。掃除や片付けや本を読んで過ごそう。
ちなみに、こういう、「人がゆっくりしているタイミングでせかせかと家事をする」所が、元パートナーに嫌がられたのかもしれない。
今回は、朝からずーっと「オードリー」と「虎に翼」が流れている。スマホをいじりながらながら見をしている母やぼーっと呆けるように見ている父を見ていると、ちょっと不安になってくる。
せかせかと動くのは、放っておくと嫌なことを考えるからだ。
「どうせ、職場は私がいないほうがいい」
そういう思いが私の中にはずっとある。
「私がいないほうが職場が回る」
「私がいなくても困らない」
「私がいないほうがみんな嬉しいに違いない」
「休んだことで私のない信用が地に落ちた」
「戻ったら○○さんに嫌味言われるんじゃないだろうか」
直接言われたわけではないのに、そういう思いがある。誰からも連絡がないのが逆に堪える。だからといって、かまってちゃんをするわけにはいかない。
母は、こういう私の考えを気にしすぎだという。しかし、それは周りに愛されている人間だからこそ「気にしすぎ」だと言えるのだろう。
現に、私には誰からも連絡が入らない。
その程度なのだ。
こういうことを考えないようにするためにも、せわしなく何かをしていた方がいい。ふとした時に思い出しては文章にする。客観視してわかることもある。
同時に、次の仕事のことを考える。
「もう余計なことはしないでおこう」
そう心に決める。
人とかかわることは最低限にする。自分の仕事だけする。他の人にはかかわらない。
私が職場に迷惑をかけない方法はそれしかない。
早く治そう。毎回、嫌なことばかり考えてしまう。

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