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ブログのかきかた
このブログはあんまり読まれてないから、どっきゃーんと変な事を書いても全然平気なんだけど、あんまり変な事書くと、やっぱりおかしい人と思われるよなー、と躊躇する。
躊躇するのは『怖い』という意識があるからだ。
だれもなんとも思ってないよ、なんせ二次元の文字なんだから。
変だなと思ったとたん、指の一動作で消せるんだから、などと自分に伝える。
私は身元を明かしているが、私自身を知っている人が読んでいる事への恐怖はない。
ブログを書いている間、知っている人へは意識が向かない。それは、私も知っているからだ。
私という人間を知っている人に、私がブログに何を書いていて、それを読まれようと、現実には特に問題はない。
関係は現実的なものだから。
私が何を書こうといいよね、と思うし、知っている人はだいたいそっとしといてくれる気がする。もし、知り合いが私のブログの内容の何かで腹が立った所を想像しても、恐怖はない。
それだけ『私が、相手のことを知っている』というのは安心感があるんだなあと思う。
じゃあ、この『恐怖』はどちらから?というと、全く知らない人を意識しているのだろう。
おかしなものだと思う。
知らない人のウエイトがおおきい。
知らないから怖いのだ。
でも、それは私の頭の中にしか存在しない。
頭の中の空想にこそ、行動を縛られているのだ。
おかしなものというか、それが本質というか。
このnoteという媒体を使って、私の頭の中をアウトプットしている。以上。おわり。
書いた時点で目的は達成するはずだ。
自分がやりたいからnoteを利用して書かせて貰ってるだけだ。
(作成した当初は職場のホームページへ誘導してヘルパーさんの募集が目的だったけれど、もうそんな感じはまるで無くなってしまった)
そのはずなのに、何らかの評価を期待して、変に思われたらとか、だれにも見向きされなかったらとか、そういう事を感じて恐怖になるんだなあ、と分かった。
なにせ、『期待』というのは要らないものだと思う。「人に期待をするな自分にこそ期待せよ」とか言うけど、人にも自分にも期待は要らないんじゃないかな。めんどくさいもんね。
頭のなかの『世間』という幻の読み手に批判される恐怖は私のなかでここで整理(ポイ)して、さらに変な事を書いていこうと思う。
ここでの変というのは、『変だと思われるだろうと私が思っている』という事であり、もし本当に変なら私が変だということになる。(それはそれで発見だけれど、違うとおもう)
頭の中にあるものを脚色せずにそのまま出せるようになれたら、いいんじゃないかなーと思っているので、noteも100記事を越えたお知らせがきていたことだし、少しずつできるよう取り組んでいきたい。