らくがき(長い)
note書いて
消えて
note書いて
消えて
二回続いてやっと
保存しなくちゃダメかあ
と思うに至った。
なぜが下書き保存しなくても、勝手に上書き保存されているカシコイアプリだと思ってたけど
(カシコイアンドロイドかとも思ってた)
ちゃんと保存しないと消えちゃうようになったんだなあ。
日常の思考も次々消える。
もったいないなあと思う。
すごく良いこと思い付いた
と思っても、すぐに去ってしまう。
みんなそうですよね。
湧いて、去る前に
夢とか
言葉とか
疑問とか
書き留められる人が
そういう
単純デ手間のかかること
面倒なことができるから
「できる人」なんだとか…
そんなことも聞いたなあ。
メモの魔術?
ゼロ秒思考?
文章書くのも絵を描くのも
頭の中から勝手にポロポロと出てきたらいいな
このまま頭から3Dプリンタできたら簡単なのに。
このややこしい抽象的な頭の中を、どうにかこうにか出す。
私たちは思考があっちこっちに飛ぶので
扉がたくさんあるような感じで
脳内のクラウドも広いから
あれやこれや
時間差はあれども、重なって紐づいてて
分けるのもなんだかな
どうやって表現しようか
ほんで(だから)、私の書くこともごちゃごちゃしているんだけど(言い訳)
私はごちゃっとしたとしても
全部まるまる出したい派で
本当に恥ずかしい限り。
仕事関係の人に見られるのが一番恥ずかしい。
特に、ご利用者さんご家族さんに
いつでもどこからでも見られると思うと
穴に入りたい。
(でも書くやろ)
あっちとこっちと
思考と思考は重なってて
繋がってて
自分の全体的なカラーがあって
私のカラーとあなたのカラーと
それも
やっぱりどっか繋がってるんでしょう。
カラーっていうか
私たちはだいたい一生、同じことで悩むらしくて
ひとりの悩みは多岐に渡らないらしい。
だから、解決もだいたい同じことらしい。
そういえば
思春期で学校をサボるようになって
ボンヤリ空を眺めていたけど
『自分とはなんなのか』ずっと悩んでいた。
数ヶ月悩んだあと、『自分はこれでいい』という解決に至って、晴れ晴れした。
13歳の頃から30年以上経ったけど
やってることまったく変わっちゃいない。
5次元
って聞くじゃないですか。
ドラえもんポケットは4次元と言いますけど
あれはたぶん
時間の次元のことかな。
立体的な3次元と、時間軸の4次元とで
あわせてこの世なんだとか。
で、その上の5次元の話
実験的な科学証明は成されてないけど
数学的には、もう11次元まで示されてるとか
超弦理論とかM理論とか量子力学とかなんじゃかじゃもにゅもにゅ聞きますが。
難しいことは、さっぱりです。
映画の「インターステラー」や
「メッセージ」が有名ですよね。
物理学者が監修して、実際の計算式でもって、5次元の世界観がうまく描かれているって評判です。
それらの映画で表現されているのは
「視点の違い」です。
物理的なモノや時間を
越えた「視点」で
なんとか見せようと表現されてますね。
1次元の、点。
点の世界は
2次元の平面から見たら
なんで
その点しかないんだよ!
もっとほら
世界はずっとずっと広いんだから
点でいる必要ないよ
世界はそれで完結ではないんだ
動けるんだよ!右にも左にも!
と平面を知っていれば言いたくなるでしょうけど
点は「点だけ」が世界の全てですから。
我思う故に我あり。で、おわり。点。
2次元は、面が世界の全てで
まさか、面以外に
上とか下とか
他の空間があるなんて
そんな世界観は持ち合わせてなくて
どこまでも平面のみの世界で
紙の上にインクでぐるりと大きな円を描いて
円の内側に沢山の宝物を描いたとしても
2次元でいる限り
円の外側から中は見えないわけで
けれども3次元の視点に立つと
円の中の宝物どころか
何年もかけて緻密に描かれた秘密の平面世界だって
丸見えで
謎は謎ではなくなってしまう。
果てしない2次元ストーリーも
3次元の私たちには
一足飛びに理解することも可能だったりする。
私たち3次元の世界で
2次元は創られているんだからね。
2次元の世界の住民には一切
わからないだろうけども。
3次元の世界は
5次元からの視点でみると
一目瞭然
未来だって過去だって全て見渡せるらしい。
私たち3次元からは理解できない、全く違う視点というのを
なんとか表現しようとして
こうだ
ああだと
色んな解釈を聞く。
たとえば
私から見ると
あなたの正面しか見えない。
5次元の視点は
あなたから見た私も
同時に見えるんだそうだ。
色々な視点が同時に見える
というか
視力ではなくて
解るのか
なにがなんだかわからないのだけれども
それが、私があなたでもある
という意味で
全部がひとつで
全てが私
ってなんか聞くでしょ?
あれのことだ。
2次元の地図のように
私たちは丸見え。
私たちのどこからどこまで丸見えなのか
いやもう、全部ですかそうですか。
秘密もなにもあったもんじゃないんだ
だって、隠す必要がない。
全体が私であって
空間つながっているもの、全部が自分そのものらしい。
空即是色。
ノンデュアリティ非二元
私はいない。
私の視点は無数になって
全部が理解できる
理解している「それ」が
本当の自分であって
いまの私は本当の私ではない。
じつは、いない。
私は幻想。イリュージョン。
13歳から変わらず悩んでいる
自分とはなんなのか
生きるとは、死ぬとは
この世界と私の関係性は
それらが
ラストまで一足飛びに
謎ではなくなってまう
なんだ
こんなことだったのかと
展開図を見るように
私たちの生きる世界を知る。
私と同じカラーで繋がっているあなた
こんな文章をここまで読んでしまったあなた
私と近くの視点に存在しているのでは。
「インターステラー」も「メッセージ」も
映画のなかで
過去現在未来という時間軸が無いということを表現している。
YouTubeで岡田斗司夫さんが、映画メッセージの解説のときに「時間」について話されていた。
3次元は物質だから、距離が時間になるのだと。
ペットボトルが人生だとする。
ペットボトルをスキャンしていく
ペットボトルの端から端まで。
この距離が時間。
このスキャンしている輪っかの一瞬が、今。
今
今
今
端から
端まで。
ということは
それ全体をみるとき
もう、全体(ペットボトル)は出来上がっているのだ。
もうすでに
出来ているものを
スキャンして
見ている。
もしくは
3Dプリンターのように
すでに出来上がりが設定されているものを
今
今
今
作っていく。
私たちが自分で
努力したり
サボったり
回り道したりして
必死につくってるように思っているこの世界
まさか
すでに創造されていた?
私たちが2次元世界を創造するように?
創造主である私たちには
そのさらに上の次元に創造主がいて
入れ子のように
深く広く
さらにさらに
複雑に重なり
次元を越えて想像の奥へ
続いているのか。
映画にはその疑問がおおいに込められているようだ。
そうだよ
未来はできている
もうある、と。
けれども
どんな未来があるにせよ
私たちは、そこへ向かう。
辛く悲しい未来でも。
(メッセージでは、主人公は子供を亡くす未来を見る)
それでも向かう。それこそが
愛であり、生きるということなんだ
そういうメッセージが込められてるようだ。
私は
同じことをぐるぐる
悩みに悩んでいるんだけど
そういう解釈を聞くと
ホッとする。
合わなくてむかつく人も居るだろうけど
私は安心してしまう。
ニーチェも同じようなこと言ってるように思えるし
ブッダもそんなふうに言ってるやんって思ってしまう。
なんだあー
出来てるんだー
あがかなくていいんだー
いま
これを感じて
いまここでこれが
100%で
これ以上はなく
完璧で
なんじゃかじゃもにゅもにゅ
感じながら
その感じることも
すべてオールオッケーで
ただ
あるがまま
スキャンでまっすぐ向かっていくのかー
それが私なのかー
そんなんで
ホッとするので
このような5次元解釈は、私にとって居心地のいい場所のようだ。
いつもここに
ホッとステーションに戻りつつ
日々
ごちゃごちゃもにゅもにゅ
やっている。
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