ひっ捕まえて抱き締めてやる
脳は、自己と他者を別であると認識しない。
なので、人から褒められるのも自分で褒めるのも、脳にとっては同じだという。自己からでも他者からでも脳は『承認された』と解釈する。
自尊心を育てるために自分で自分を褒めると良いと聞く。
自尊心は重要だ。
自尊心がないと、生きるのが辛いから。
相談支援員の仕事柄、人の文句を聞く機会が私にはままある。文句は多種多様であるが、要約すると「ないがしろにされた」ということになる。
あんな料理は
あんな接客は
あんな運転は
あんな言い方は
あんなやり方は
こんな制度は
不服だと、自分にふさわしくないと暗に言うのである。
一見、『自尊心があるから、それを傷つけられたのですね』という風にも捉えてしまうが、自尊心があれば誰に不遜な態度をとられても平気だ。自尊心は他者によっては傷つかないだろう。
出る文句の処方せんは簡単だ。
自分が、文句を言っている自分を認めると、文句が消える。(自分以外の人間にはどうしようも出来ない)
文句は自分へのひねくれた愛情だ。
文句を言う自分をまるごと認める。拗ねないよう、勘違いしないように、まるごとまるごと。全部ぜんぶ。
文句を言う人は、文句を言う分おなじだけ自分も傷ついている。傷ついた心の救済にまた文句が出る。
文句を言う自分を否定していては、シッポを追いかける犬のようだ。
文句を希望に転換すると「大切にされたい」である。「もっと認めてほしい」という訴えだ。
脳は自分と他者を区別しない。脳は、深部で私たちはひとつだと知っている。
誰がどうやって自分を傷つけるのだろうか。ないがしろにされた、認めてもらえない、と言っているのはどういうことか。
大切にしていないのは誰か。自分を認めていないのは他者ではないのだ。認めるべきは、自分の出来ないところだ。自分を許すことだけが、他者を許せる方法だ。自分に本音は見え辛い。本音には反発してしまうから。
自分を許したとき、文句はなくなる。文句言いたくなるのを我慢できるとか無かったことにするとかではなくて、そういうものがどこかへ消えてしまう。
自分から文句がでたとき、文句を言いたくなった自分を探す。探しだしてひっ捕まえて感謝を伝える。そうだよね怒るよね。だってそうして欲しかったんだよね。自分を守ってくれてありがとう。