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梅雨の嵐は去って空が夏だった。

養老孟司さんが言っている。
こんなん狂ってるでしょ。と。

一世代前の半分に子供の数が減るなんて、自然ではあり得ない。共同体がおかしいからこうなるのだと。

ほんと。
おかしい。



知らぬ間に、私たちは無理を重ねて
小さな無理が沢山たくさんあつまって、目に見えない無理が『フツー』の感覚で蔓延して、フツーから抜けられない巨大な縛りとなってそして、子供が生まれなくなった。

生物の自然な繁殖が不可能になった。歪んでしまった。

みんな、悪いことしてないのに
一生懸命生きているだけなのに
どこかずれたのだ。

ズレは、容易に人を責めることに現れる。社会の中では、なんでも責めちゃう。

外でも喫煙禁止、という条例をつくって平気で喫煙者を排除するところが、社会が狂っていると養老孟司さんは言う。


一方を責めて当然と思っているところが、もうびょーき。

私たちは自分と人を一緒くたにしてしまうし、良いことと正しいことを勘違いしてしまって、正しさに囚われてしまう。

正しさを武器にすると、武器にした人から本当の喜びは抑え込んでしまう。
歪んだ我慢をして、傷ついて弱くなっちゃって、守るためになんでもかんでも責めてしまって、責めることが次へ次へと手渡されている。

歪みは、絡まりはそうそう直せない。

私はコロナは、そんな歪んだ世界の救世主のように思った。
傾いた世界を揺らして
ぐわん、ぐわんと揺り動かして
ああ、人間がもう出来そうもない軸の調整をしてくれるために、自然の力がやって来た、と思った。

だから、コロナが終息しつつあるとき
あれー?おかしいな
なんでかな
もっと揺れて、そうならざるをえず、ついに軸が整いだす!…んじゃ…なかったのかな?

私はひとり不謹慎に、コロナの威力がおもいのほか小さかったことにガックリした。

誰かが(コロナ扮する神様が)どうにかしてくれるなんて期待をしていたらしい。

どうにかしてくれるのではなくて
さあ、どーする?
自由だよ
あなたはどうする

と耳元で囁かれたんだな。

空はもう夏空になった。

道路沿いの低い街路樹の葉っぱは、新芽が虫に食い散らかされている。育った虫もじきに飛び立つだろう。

自然はスゴい。
正しさとは、自然のことではないのか。


フツーを疑う私の脳では正しさが曖昧なので『結果は手放そう、目の前のことにだけ集中しよう』と自分と約束する。

軸を意識する。その時今の事だけに、一所懸命になるしかない。あとは全て受け入れる、と自分に誓う。そうすれば大丈夫、と自分に指針を示す。

夏空がきた。

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