平和について呟いてみた
反戦運動家たちは
アメリカ連合軍による2003年のイラク侵攻から
一年で一万人の市民が殺されたと言う。
しかし
サダム.フセインは、その政権中に60万人の市民を殺したと言われている。
また、50万人のイラクの子供達が死んだのは、フセイン政権のせいではなく、国連の経済制裁のせいだと言う人もいる。
さらに多くの数字を出してきては
正当化したり非難したり
メビウスの輪のようにねじれてしまって
表と裏が区別できなくなる。
メンタリストが炎上しているらしい
テレビを見た、ある人が私に話してくれた。
メンタリストにプンプン怒っていた。
へー、とか、そうなんやとか言いながらも
私は閣僚でもない個人のヘイトスピーチに興味を持てない。
生活に関係ないことにエネルギーを消費しているブームに乗れない。
聞くところによると
なにやらテレビでの雰囲気は
メンタリストの発言は許されない
人権無視は彼の根本的性格であって
そんな差別思考の持ち主はメディアから抹殺しなければならない
という風潮らしい
(間違っていたらゴメンちゃい)
それって
そんなふうに個人に言う
抗議団体?コメンテーター?記者?たちも
間違いを犯した個人を認めないという
同調圧力であり人権無視で
不特定多数への差別思考の増長ではないのか。
過度に集中した報道だって人権侵害なんじゃないの?
メディアリテラシーなんて知らんけど。
人権侵害発言のメンタリスト
煽るメディアの人権侵害祭り
人権侵害を受けてまた人権侵害を繰り出す個人
メビウスの輪である。
表と裏が区別ない。
昨日きいた話だ。
若い子ら
輝かしい未来しかないお嬢さんとの話だ。
お給料が少なく安定しない。お菓子やパンばかり食べる。太る。深夜までスマホを見ている。家がごちゃごちゃしている。絶対に許せない人がいる。
これはもう
ねじれている。
片付けて
スマホを見ないで
料理をしたらどうか
なんて簡単に思うかも知れないが
侮るなかれ
こういうことの地道な自己解決が
戦争や人権侵害を解決するおおもとなのだ。
超重要で、難しいことなんだ。
彼女の言う全が全てに引っ付いている。
お菓子やパンと許せないことは関係してて
給料安定しないとスマホは関係してて
家がごちゃごちゃと太るは関係してて
また別のそれぞれがかくかくと引っ付いて
複雑化している。
誰かのせいでもあり自分のせいでもあり
環境でもあり
考え方でもあり
自己矛盾をかかえ
ほっといてもなかなか消えない。
原因と結果は表裏一体
すぐそばにあるが
見えないんだ。
唯一それを解決できる本人が
問題意識をもつだけでも、とても時間がかかる。
ああ、輝かしいお嬢さんでも既に社会で揉まれてメビウスの輪だらけなんだなあ。
お年寄りと介護の仕事で日々接していると
個人の小さなねじれがどれだけ複雑か
根深く解決困難で
結局
墓場に持ち越すほどだと思っている。
そのねじれの
一人一人の矛盾が
やがては人権侵害や戦争に結び付く。
そういう気がするんだ。
前記事の(ビビッドなコメントをいただいた)
私の歪んだ性的差別意識は
日常で問題が見えることはない。
歪んでいるからこそ慎重であり、男女ともに同様に自然に接する。
「あなた男性に愛想が良すぎない?さては男が苦手ね」などと指摘されることは皆無だ。
隠された私の性的差別意識も
人から見てアリアリと分かるほど、隠していないメンタリストの能力差別意識も
仏教煩悩の三毒が原因にある。
満たされない「欠乏感」
もっともっと、まだまだと思う。
「怒り、不快」が湧くのは、それは本当は怖くて恐れているから。
でも、だって、どうせと言い訳をして
拗ねる「愚か」な自己矛盾。
これらで私たちは歪んでいる。
そういう全てを抱えている。
食事であったり、場所であったり
ボランティア活動であったり
人間関係であったり、思想であったり
歪みが表現されることは様々だろうけども
三毒あって当たり前で
生きてるんだから
死んでないんだから
大きかったり
自認していないと、しんどいというだけで
隠すのも隠さないのも
個人それぞれで
三毒なんて
釈迦のいう通り、ただの思い込みであって
自己認識は
あとから植え付けられた何かであって
自分そのものではないから。
その
さも自分のものであるように思い込んでいる固定観念をぶっ壊していくことが
自分の平和であり、世界の平和だと思う。
長い呟きを終えて、お風呂に入って寝ます。
だいすきな日曜日がおわったー!
また明日からがんばろー