感情と思考を仲良くさせる視点
水曜に初めてnoteを使い
翌朝にもうひとつ記事をあげて、合計5つのブログをほぼ一気に公開した。
そのことから、昨日の木曜日は「新しい経験をした私」に感情と思考が襲ってきた。
昼から仕事に行っていたけれど、そのnote関連感情のほうを脳ミソは目まぐるしく処理しなければならなかった。
まず、いいねボタン「スキ」をされると、ものすごく嬉しい!!
こんなに喜ぶものなのか、と、いたく反省した。
自分はいままで、いいねボタンの存在を知っていながら、よっぽど「良い」と思わないと押さなかった。
なんて貧しい心だったことか
こんなに発信者が喜ぶものだったら、もっと気楽にイイネするべきだった。
お金も時間もかからないで、JOY(喜び)のエネルギーを最小限の行動でプレゼントできるシステムだと知った。
私はイイネの力を過小評価するばかりか
このくらいじゃあネ…
などと謎のマウントをとっていた。
ギブの出し惜しみをして、ギブ(与えることが)できるチャンスを逃していたのだ…
むむ、文章というのは最後まで読んだ、それだけでもう「良い」と思っていると受け止めて、ポチと押してもいいくらいかも?とも思った。
(読んでみて、自分の思想と違うと感じた時には押す気がなくなるかしら?)
今度からはイイネのハードルを、足首の高さより低くしてみようと思った。
また、noteの「スキ」をもらうと沸騰した湯気のようにドーパミンが湧く、そのことじたいに葛藤が生じた。
ワクワクの感情に翻弄されて葛藤が生まれたのは、それが今回のように良い気分であろうと、憤りのような悪い気分であうと、あるひとつの強い感情が沸き上がると、対立する思考が必ず顔を出すからだとおもう。
昨日は自分の感情が強すぎるので、その対立する両者に、こころの椅子に座っていただくことにした。
右脳女性のわたし
嬉しい~!もっと沢山の人に読んでもらいたい!もっと沢山ブログ書こ!
対する左脳男性のわたし
おちつきなはれー
快楽のドーパミンがドバドバ出てるがな
イイネの数で一喜一憂することになるで
外の環境に振り回されないようにて、いつも言うてますやん
ドーパミン麻薬の副作用の落ち込みが嫌や~セロトニンのホッとする喜びがいい~って、あんたもそればっかり求めてたんちゃいますの
右脳女性のわたし
いやいや、そんなんばっかり言うてたら、新しいこと伸ばされへん。
チャレンジには、落ち込みがついてくる。
知ってる人に「読んで!見て!イイネして!」と言うこと自体が、私らのめっちゃチャレンジやん!
怖がってたらあかんって
両者ともに言い分があり、もちろんどちらも正解だ。どちらが勝ち、どちらの選択が通るのか?
両者の言い分をきいたところで
その二人を見ているのはいったい誰なのか?を意識すると、第三者が登場する。
この感情女子と理論男子のわたしを見つめている、私が居るのを感じる。
女子と男子は本当の私ではなかったことが、ハッキリと解る瞬間だ。
このやり取りを観察している自分こそが、本当の自分だった。
椅子に座った二人も、本当の私が静かに観察しているのに気付き、大きな安心に包まれる。
それでお互いに顔を見合わせて「ま、いっかー!」と笑いあえる。仲良くなって、譲りあえる。
視点の大きな自分自身が、騒がしい感情や思考をいつでも見守っていて、常にそこに居ることを感じると、何故かほにゃら~っと力が抜け、安堵する。
ああ、お釈迦様のような自分がいた~!
不思議なので説明のしようがないが
それで、また好きにやっていこうと思える。
どの言い分で生きても構わないんだと思う。
怒りや悲しみの葛藤があるときにも、感情と思考を登場させてみたい。
必然的にそれを第三の自分が観察していることが、よく解る。その第三の目が、本当の自分だと腑におちる。
無邪気で一生懸命で、私の幸せのために各論ぶつけて、拗ねたり地団駄ふんだりする、いとおしい私たちを見つめる、本当の自分を感じる。
静かに、なんの感情もなくただ全てを受容している。