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世の中を未来を信用してるんだな私

喜怒哀楽は社会的な概念である、人間社会に便利に作られた、と聞いたことがある。

脳の研究で、
たとえば怒っているときには
脳のある一部に怒りの脳波というか、特定の動きが現れれいるのだろう、と考えられていたが
『怒っているときには脳のこの部分がこうなっている』というような動きは確認できない、という事が分かった。

脳自体からは、怒っているのか、いないのか、そういう感情を判断できないらしい。

へー。なるほどなるほど

子供に、配偶者に、カッときて怒っている最中でも、電話が鳴ればとたんに怒りと反対の柔らかな声が出るだろう。
恋人の裏切りで悲しみに支配されていても、カメラを向けられると美しい笑顔になれるだろう。

人は、その時に『必要と思われる』感情を味わっているに過ぎないのだろうか。

そうだとすれば、私たちの脳は、その判断を冷静に、敏速に行っているのかも知れない。

いまどのような感情がふさわしいだろうか?

傷つけられたと決めて、カッと怒っとこうか
えっと、今ここで怒りを発散してしまったら、このあとどうかな
悲しんだほうが、気持ちよくドラマチックに盛り上がる、ちょっと暇してるとこやし、うちひしがれて今日はこのネタで愚痴っぽくいきましょか
いや、まてよ、ここはTPOをわきまえて、自分の心の余裕を確認するために自嘲にとどめとこ


な~んて、こんなん大袈裟やけど

脳はゼロ秒で感情を瞬時に決めて、表現するかもしれない。
自分にはわからないだけで、感情はまやかしかもしれない
…と思うと面白い。

表情では心の中をはかることはできないらしいし、私たちは、他者の喜怒哀楽の表情にも、振り回される事はないのだと思う。

今朝は早くから電車に乗って遠出をしてきたのだけれど、ただのお使い走りで、誰とも会わないし、スッピンマスクで、ぼんやりと三時間、電車に揺れていた。

2300年前のソクラテスの時代にも800年前の鴨長明の時代にも、人間の社会はてんで今と変わらないんだなあー

昔の人も、私たちと同じような事を言ってる(やってる)なあーと、ボンヤリ思っていた。


どうして、世の中って繰り返し繰り返し
何千年も変わらないのだろう?

サピエンス全史を書いたハラリさんは、これからはガラリと変化すると言っている。

それは、テクノロジーの発達で、データを握るごく少数の超エリートとその他大勢が断絶して、多くの人類が全く意味のない階級となり、その違いはまるで神と人のような超格差社会になるだろう、と。

(いやあコレ70年以上前にヒットラーが予言していたシナリオどおりだわ!)

いまは、2500年続いた夜の時代からの夜明けだと言われている。
また縄文時代のように、人が人らしく個々の能力を発揮できる昼の時代がやってくると聞く。

私は、この歴史学者ハラリさんが予想する暗黒の未来と、さらに彼が伝える私たちホモサピエンスがとるべき次の一手(汝自身を知れ)に、昼の時代の到来を予感している。

ソクラテスの時代からずっと変わらない世の中だけれども、でも、これから私が生きている間にグラデーションのように変わっていくんだ、と思っているのだ。

私たちの脳は、その能力のほんの少ししか使われていないと聞くでしょ。寝ている間など意識していない時にこそ、脳は働くと。

本当は私たちの脳は底知れない機能を持っているのだけれど、思考の邪魔が入って、その能力は眠っている。

考えれば考えるほど、脳は動かなくなる。

いままでは考える時代だった。

思考を止めると思考を越えたインスピレーションが湧くことは、もう周知の事実だろう。

コンピューターの台頭によって、些末なこと(生きる安全とか)を考えることが必要なくなる、そしてその奥に眠っている能力が発揮したら。

テクノロジーが人間の能力を凌駕すると言われているから(私たちの思考データや、心拍数などの生態データを集積しアルゴリズム化してコントロール可能となり、またバイオテクノロジーで身体機能をさらに拡張することができるから)

いやあ

だからこそ、そこを越えるべきときに、時代はなっているんだなあ~

コンピューター(テクノロジー)は、そうすべき我々の伴走者なんだなー

そんなことを思う。

未来は明るいと
人類にも自分にも期待をもっています。

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