欲求の段階をふむ
マズローの五段階欲求
低層の生理的欲求から自己実現までの5段階は
これからの高度な自己実現社会においてなかなか深いなと思う。
要するに、今の社会においては達成が困難だ。
生理的欲求を完全に満たす社会は、身の回りにあるか。
行きたいと思ったとき、トイレに行けるか
我慢せねばならない社会ではないか。
自分の欲するものを食べることができるか。
睡眠は充分にとれているか。
寝たいときに寝て、食べたいものをたべ、排泄を滞りなく行う。
私はまずこれをしなければ、幸せの土台を得られないとおもう。
この生理的欲求さえ満たせば
子供のようにぐっすり眠ることができたら
体のリズムのままに排泄できたら
罪悪感なく妥協せず欲するものを食べられたら
完全に幸せ確定だ。
ストレスで、忙しくて、貧血で、ホルモンバランスが崩れてて、経済的に、人的に
まず生理的欲求さえもが満たされない社会
それは
私たちが生理的欲求を後回しにする価値観に囲まれて生きているということだ。
私は、トイレに行きたいときには
なにをしてても頓挫してトイレに行くことを目指してもう何年も(!)意識しているけれど
いまだ
かかる労力を天秤にかけたり
(トイレを我慢することは簡単だ)
電車に乗ることを優先したりしてしまう。
生理的欲求を満たすことさえ難しいなあと感じている。
その出来ない自分に呆れず『トイレよりも大事なことなのか』をゲーム感覚で問うようにして
完全では無いながらも
好きなものを欲するときに食べることに注力し、睡眠も取れるようになってきた。
つぎは、安全の欲求である。
私はHSP気質なので、安全には感覚過敏だ。
結婚していたときには、配偶者の機嫌にビクビクしていた。夫の帰宅を察して鼓動が早まり、安全が満たされていない場所で生活するという経験をした。
現在も、怒っている人や機嫌の悪い人が居る攻撃的な空間を共にすると心身の負担が強いられるので、自分の力不足を感じるならさっさと逃げることを自分に推奨している。
逃げることに罪悪感は必ず伴う。
サボる自分になかなか慣れない。
私は仕事中でも、かすかな違和感があればまずカフェへの避難とその経費を自分に許している。(大福を食べに行ったりとか)
また、自宅を安心と安全の基地にするために、自分の必要なもの、気に入っているものしか置かないように努力している。
空間を澱ませるような、もう必要のないもの、これからの自分にそぐわないものを置かないために断捨離や空間リセットを行う。
これを意識していると、自宅が私の安らぎの欲求を満たしてくれる場所になった。
家の中に居るだけで、リラックスどころかエネルギーチャージがおこる。
安全を確保することは、わたしの生きる命題であり、これなくしてはその上の高度な欲求は満たされないだろう。
幸せの土台を確保してから
それから、やっと始まるのだ。
なにかが。
次の段階は、社会的所属欲求だ。
私はこれまでいろいろなグループに所属してきたのだけれど、社会的に認められた、愛されている、必要とされている、と確信を持てたことがない。
自分が褒められても好意を示されても、なんか腑に落ちてこなかった。
人からの称賛は心に届かない。
周囲の人
例えば偉い人や憧れの人にでさえ、褒められて得られるものは幻のようだ。
私は社会的に所属している実感が湧かなかった。
どこのどんな場所に居ても、自分がなにか納得していなかったのである。
つまり、私はいまこの段階なのだ。
所属というものの『理解ができていない』のだ。
土台を作りつつも、新たに出現しているこの欲求と向き合っている最中だ。
私の所属とは?
私が生きるとは?
私が社会的に果たせる役割というものが、あるのかないのかも分からないままに模索しているところだ。
この欲求は2020年にもった大きな課題で、年内に目測をたてたいと意気込んでたのだけれど、今の私には越えられないかも知れない、と弱気を呟かせてほしい。
ひとつひとつ、地道にやっていく。
自分がどうなのか
わからないので
自分に質問しつづける。
今日もつい
じっくり質問する時間をとらずに
私はメンツのために仕事へ行くのだ…
自分のメンツを立てたいがために、約束の仕事をしに祝日出勤する。
せっかく行くので、存分にメンツを発揮して満足してきたいと思う!
行ってきます。