緊張のあとの緩和、そしてまたその先へ
私は効率的だった。
10年前は、たった10分の時間でも無駄にしたくないタイプだった。
「この10分があれば、あれが出来たのに時間を無駄にしてしまった」と悔しがるしょーもない女だった。
いまは、そんなん続けていたら血管キレるわ!
と思うけれど、そのとき世間的には評価を得ていた。
仕事は忙しい人に頼めと言うけれど、ほんま吉田さんに頼んだら早いなあ~!と言われ
「吉田さんがこうしてたんだからいいのよ」と効率化(手抜き)の言い訳にされていた。
サークル活動もいくつかしていたし、PTAの役や子育てにおいても体験の機会を多くしたり、なにかにつけ行動力もあった。仕事してお金をためて早朝から料理に掃除にと出来ることを目一杯して10時半には急いで寝た。
やがて緊張と緩和である。
今度は緩和がやってきた。
血管こそ切れなかったけれど、何かがキレて
活躍ママは、ウツになった。
自分のことを自分から責められると、どんな強気な人も勝てないのではないか。
落ち込みから、自分の価値観を変える必要があることを学ぶ。
時間はたっぷりある。時間を制限しないこと。
やらなくちゃいけない事なんて人生において何もないこと。
お金を心配しないこと。
「これだ!」という人生の法則は山のようにある。
けれど生活のなかで変化は急に起こらないし、劇的でもない。
岩戸にでも隠れないと。
望月彩楓さんが言っていた話を思い出す。
アマテラスオオミカミは、弟のスサノヲが何度も嫌がらせに来ることで落ち込み、天の岩戸に隠れた。
光の神であるはずの自分の奥底には、こんなに憎しみを持っていた、と自己の闇を見つけて自分を責めた。
岩戸のまえで他の神々が、自分たちの失敗談や負の一面を披露しては皆で大笑いした。アメノウズメノカミなどは、赤裸々に胸をはだけて恥をあけっぴろげにして踊り出す。やんややんやの大騒ぎ。
そこで、あ!見たこともない光輝く神のお出ましだ!との声を聞いて、なにいったいどんな神が来たのかとアマテラスオオミカミが岩戸の影から覗くと…眩いばかりの神々しい光を見て驚いた。まさしく光の神だとおののくと、そこには、自分の写った鏡があったのだ。
岩戸から出たアマテラスオオミカミは自分を丸ごと受け入れて、真の神性を得た。
神様でさえも、自分の醜い憎しみや怒りの闇を見て落ち込み、しかしそこからもう一度自分を見なおし受け入れることで、本物の自分として一層飛躍する、と知って『一緒やあー!』と思った。
みんな、みんなそうしてきたのか。
太古の昔から。神々の御代から。
私もその1人だと思った。
なかなか劇的には変化もなく、緩やかで、退屈なくらいだけれど
こうやって自分が文章を書いて(仕事や勤め先をさらして)ネットに発信するだけでも、大きな一歩と認めよう。
緩和の先の緊張がやってきたら、それを利用してまた一歩すすむのだ。
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