古い成功法則
仕事で
批判的になってしまった事があって
それってさー
って風呂でぶつくさ言っていた。
歳のいった『暇』をもて余している人って
(って偏見いうけど)
テレビとか見て
なんか買い込んだりして
自分はなんかやった感じ、対応した感じを得て
根本的は何にも解決に近づいてないんだけど
とりあえず、心配はちょっと拭えて
ひとまず満足する
とか
そういうとこ、顕著だよね。
いや、若くてもあるのかも知れないけど。
長く会社に勤めてたり
人生なあなあになってくると
公共事業とか、まあ税金とか、社会的に顔の見えないのっぺらぼうのお金と一緒で
会社のお金も、なんか軽く考えがちで
自分の懐からでもないし
ねえこれ、いいんじゃない?
こんなん要るよね?
って『安全だから』『無料のものは心配だから』って『このくらいなら安いでしょ』って言って導入したりする。
なんか…それって
自分が『やった感』を得るだけじゃないの?
それ、必要ないやん
って事を
『こんくらいで安いからー』って印籠だして、購入したりする。
いやいやいやいや、必要性ある?
流行りに乗っただけじゃないの?
(もう流行ってない。古い)
そう思う。
最近、なんかそう思ったことが、二回あって
物品とシステムだったんだけど。
なんだかなーって風呂でぶつくさ言ってたら
なるほど!
これか!
って気づいて
古いよなー、なんか考え方が…選択が…
っておもった、
その自分自身の古い体質に気づいた!
文句って、自分のお腹が自分に言ってるんだよねー(お腹じゃなくて、自分の無意識としてもいいし、自分のご先祖としても、何でもいいんだけど)
別に会社のお金で私腹を肥やしてる訳でもない
とか
みんなのためを思ってやってるんやなあ
とか
目くじら立てるほどの金額じゃないしね、とか
会社の誰も困らんから、とか
なんのかんので
なしくずしに溜飲をのみ込む
相手の『なんかやってあげた』気持ちに共感してしまって終わる。
仕方ない
そういう人
そういう状況
と
曖昧にすることで
わたしは、自分の人間関係を良好に保ってきたのだ。
これは、私の成功法則であり
これで、敵をつくらず、揉めず、苛められず、人間関係をやれてきた。
本当は批判的だけど、批判しないことで今の居心地の良さを作り上げている
そういう価値観になってしまっていたんだ。
ふっるーーー!
いや、私も傷つきながら43年生きてきて、自分のやり方が確立してしまっていたんやな、と気づいた。
うまくいったやり方から捨てなさい
おー
そういうこと?
そういう時期なの?
私の人間関係の成功法則、まじで古いわ。
もう、令和では変化が必要だわ。
そうお風呂上がりに感じた。
そういって、今さら上記の例に対して『それってどうなん』と自分の意見をわざわざ掘り返して言うとか、心のままに正直に伝えるとか、そういうのは私のやり方ではない。
過ぎたことは、私に気付きを与えたことだ。
溜飲を下げたことを吐きもどすことはない。
これから
私はどうありたいか
どういう人間関係を作っていきたいのか
こっちの方向へと走ってきた線路の切り替えをガチャンと引くこと。
そういうイメージだ。
お腹ってかしこい。
教えてくれる。
風呂も最高。
水っていつも何か気付きを与えてくれる。
電車ついた
では、今日も仕事がんばります。
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