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昭和の女子マンガのはなしだけです
マンガ好きである。
出勤時に駅まで歩きながら、いろいろ漫画を思い出していた。
思い出す作品をただ書きつらねる、趣味の小部屋を展開したい。
原点は、池野恋の『ときめきトゥナイト』だ。
そこから昭和の私のマンガ史がはじまる。
古いところでは『ジョージィ!』とか『はいからさんが通る』も印象深い。
渡辺多恵子の『ファミリー!』は名作すぎる。
だいたい講談社より集英社、それより気に入っていたのは白泉社である。
成田美名子の『サイファ』や清水玲子の『竜の眠る星』いやいや、やっぱりなんといっても『ぼくの地球を守って』でしょう。中年となった今もまだ、シリーズ新刊を心待ちにさせてもらってコスパよ過ぎる。
SFは佐々木淳子の『ブレーメン5』推し!ニッチでマイナーだけれど小学生の私の宇宙観を身近にしてくれたのは、宇宙戦艦ヤマトでも機動戦士ガンダムでも銀河鉄道の夜でもなく、ブレーメン5だ。
同佐々木淳子の長作『ダークグリーン』は中学生のときに出来た大型書店で開店から閉店まで立ち読みして読破した思い出がある。疲れて内容は覚えていない。
今のように古本屋の大型店舗が私の思春期に乱立していたならば、まるでクラブ活動のように懸命に立ち読みに時間を注いだろう。
SFの小説では星新一や新井素子の作品も衝撃をうけたけれど、竹宮恵子の『わたしを月まで連れてって』は物を持ちたくない私も長い間捨てられないた。宇宙時代の未来の話だけれど、現代のロボットを見ると竹宮恵子の昭和のロボット観がまんざらでもないと思い出す。
小学三年生の時、大蓮公園のバザーに岩ちゃんと行って、宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』3巻と運命の出会いをした。
1巻と2巻はもちろん読んで無かったけれど、アニメを何度も見ていたので、綴じ込みカラーベージが破れ表紙も傷ついていた3巻を破格の子供値段で手に入れた。
それから私はバザーのたびに漫画ナウシカを探した。
中学生でやっと正規本を購入しだして高校卒業くらいの頃に最終巻が発売されるまで、いつも書店で新刊が出ていないかとパトロールしていたなあ。
小学生のころから、宮崎駿の世界観が理解できた。そうだ、そのとおりだ、と終始納得しかなかった。
これまでに、漫画版のナウシカを読んだことがある人とは二人と会ったけれど(そもそもマンガの話などしない)
二人とも『えーどんな話だったかな?そんなに面白かったっけ?』と言っていた。
小学生の私が、あの綿密で濃淡劇画な絵と画面構成(つまり少年少女マンガではないレベルといいたい)
スケールの大きな深い話の世界に入り込めたのは、物語のなかで語られること、伝えたい思いが私の感じる世界観と共鳴したからだろうと思う。
シーンひとつひとつに感じ入った。
宮崎駿は理想家だ。世の中を悲観しているし危機感にもがいている。そして世界を礼賛して愛憎悲が混沌としている。高潔を求めている。
支配者側の思い、反逆者の思い、無知である弱さ…
あの作品を描いた30年前の宮崎駿とは、きっと本人も変わっているのと同じように私も成長しており、エンタメとして冷静に距離をおけるようになっている(と思う)
もういい大人だけれど、本屋を定期的に覗いては新刊が出てたら心踊る連載マンガもあるし(進撃の巨人とかアシガールとか)レンタルでも随時、色んな作品の新刊を追っている。男性誌も沢山読んできたけど、なんか目ぼしい思い出がでて来なかった。
たまーに気が向いたときには、気合いを入れて沢山の漫画を借りてきて一気に思う存分読める、わたし大人でやっぱり嬉しい。
今日は早く帰ってきたので、高島屋で駄菓子のように地方銘菓をひとつずつ買った。大人もコドモで選ぶのにワクワクする。